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2026年10月2日金曜日

お金があっても不幸な人たち

お金の力を十分に出し切るように使うのは難しい。とても頭を使う。それに耐える頭を持っていない人(日本人だと99%くらいが当てはまる)はうまくお金を使えない。お金を上手に使えばそのストレスからは逃げられるのにとか、もっと健康でいられるのにとかを傍から見ていて思うが、他人にそんなアドバイスをしても余計なお世話だと嫌われるだけなので黙っている。

生きるとは物事に優先順位をつけてどれを選ぶかの決断が連続する状態を言う。そして物事の優先順位を正しくつけることは難しい。論語の中では「七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」と言う。つまり70歳まで考え続けないと正しい優先順位はつけられない。現代は社会が複雑化しているので70歳では十分ではなく80歳まで考えることが必要だろう。日本人は30歳くらいで考えることを停止してしまうので、いくら年をとっても正しい優先順位はつけられない。お金よりも大切なことがわからず、お金をうまく使えない。だったらお金に執着しなければまだ救いがあるのだが、お金に執着しているので見苦しい。どうせうまく使えないくせになぜお金を集めようとするの?

2026年7月6日月曜日

青いトマトを食べて自殺する方法

青いトマトにはトマチン(微笑ましい名称だ)という毒素が含まれている。動物実験の致死量をそのまま人間に体重比で当てはめると、人間の大人が青いトマトを300個食べると死ねるかもしれない。少しでも赤くなると毒素が減るので真っ青なトマトでないと死ねない。

300個のトマトはミニトマトではなく、普通の大きいトマトだ。これを300個食べないとならないとすると、毒で死ぬより別の理由で死んでしまいそうだ。

1個食べたくらいではなんともならない。しかしおなかが敏感な人はおなかをこわすくらいはあるかもしれない。赤みが出てくると毒素は減っていくので、青いところが一部しかないトマトだとおなかをこわすためには数十個食べないといけない。青いトマトでおなかをこわす試みも食べるのがたいへんなのでやめたほうがいい。

なぜこんなことを調べたかと言うとカラスとの戦いのためだ。私の母と長年戦ってきたカラスがミニトマトを食べに庭にくるようになった。何百個となっているので行儀よく食べるのなら10個や20個くらいくれてやってもよい。しかし行儀がなってなくてやかましい上に、トマトを食べるときにトマトの幹をなぎ倒してしまうので迷惑だ。観察するとカラスは青いトマトは食べない。熟した真っ赤なトマトだけを選んで食べる。カラスの眼は人間の眼より色を精細に識別できる。青い実しかなってないときは飛来することもなかった。となると完全に赤くなる前に収穫すればカラスは来ないはずだ。そのとき収穫する少し青みが混じっているトマトを食べてもよいか疑問に思って調べたのが上記の結果だ。食べても問題ないことが分かった。

そして、赤くなり始めた実(ちょっと青みが混じっている)をカラスに先んじて収穫した。残っているのは青い実だけだ。予想通りカラスは来なくなった。作戦成功だ。カラスは青いトマトが健康に悪いことを知っているようだ。カラスは私の100分の1以下の体重しかないので、青い標準トマトを3個食べると死んでしまう。1個でも食べると死なないまでもかなり弱ってしまうだろう。だから青いトマトを食べないのだ。

2026年6月17日水曜日

発生確率250億分の1の異能生存体

どうも私の母がそうであるらしい。くも膜下出血で倒れた後、発見されるまで38時間も放置されていた。MRIを使った診断では出血が多く水頭症がひどくて脳は死んでいるはずで、たまたま脳幹が機能していて自発呼吸だけができているとのこと。手術などの治療は無駄だから何もしないことを医師から勧められて納得してそうした。普通はそのまま死ぬ重症なので、身体の汚れを拭きとっただけでベッドに寝かしておいた。1日1リットルのラクトリンゲル液を点滴しているだけ。最初はまぶたをこちらが指で開けても黒目は動かなかった。何も見えていなかった。37日後の今日は目でものを追えるようになった。話しかけたことにおうむ返しだが返答する。医師が言う「なぜ死なない」。Claude Opus4.8に状況を伝えると「医学的な常識からするとかなり例外的なことです」と言う。1日1リットルのラクトリンゲル液だけでは、脳出血がなくても栄養失調で死んでいるはずなのだ。

異能生存体が遺伝することに私は否定的だった。遺伝するなら発生確率は250億分の1より大きくなるだろうと。しかし、遺伝はするらしい。現在地球上に異能生存体は少なくとも2体いて親子関係にある。私は子供のころからやたら傷や病気の治りが早い。普通死ぬ事故にあっても死なない。単に運がよいくらいに思っていたが、母の不死身を見て運ではないことがわかった。遺伝だったのだ。

キリコがそうであるように、わたしも自分が異能生存体だからって無意味な無茶はしない。ダンプカーに生身でぶつかっていこうとは思わない。しかしダンプカーにぶつかったくらいでは死なないということは既に知っている。

私も母も生身なのだから寿命はあるだろう。不老不死ではないはずだ。

2026年1月11日日曜日

新型コロナワクチン接種後死亡事例が2300人

医療機関から報告された副反応疑い報告の合計数だ。新型コロナ関連の情報では、65歳以上の人の数値はあまり意味がない。なぜなら、彼らは普通の風邪でもこじらせれば普通に死ぬからだ。新型コロナだけを特別視する合理性に欠ける。彼らが死ぬ原因は「寿命」とみなすのがもっとも自然で合理的である。転んで死んでも新型コロナに感染していれば新型コロナ死とカウントされたという、笑い話かという例もある。そこで65歳以上は除外して議論する。

ワクチン死2300人のうち、65歳未満の人の数は450人だ。そして2020〜2025で新型コロナで死んだ65歳未満の人の数は6000人だ。ワクチン死450人 対 新型コロナ死6000人。これだけだと判断するにはデータが足りないので、データをさらに深掘りする。知りたいのは健康な65歳未満の人がもし新型コロナワクチンを打たなかったら、打った場合に比べてどれくらい新型コロナで死ぬ確率が上がったかだ。

65歳未満の基礎疾患のない健康な人は全部で7700万人いる。その中で新型コロナで死亡した人の数は700人だった。それぞれの内訳を述べる。7700万人のうち新型コロナワクチンを打った数は約5900万人、一度も打たなかった人は約1800万人。新型コロナで死んだ人の数は、新型コロナワクチンを打った人は250人、一度も打たなかった人は450人だ。こうなると65歳未満で健康であっても、新型コロナワクチンを打った方が新型コロナ死に対しては10倍くらい有利だったと分かる。

ただし、7700万人中死んだ人は5年間で700人だ。全員ワクチンを打たなかったとしても700人が1500人に増えるだけだ。交通事故で亡くなる65歳未満の人の数(1年間に400人=5年間で2000人)の方が多い。つまり65歳未満の健康な人は新型コロナ騒ぎを無視してかまわなかったというのも真実だ。ワクチンを打とうとか打たないとかを考える必要もないどうでもよい病気だったのだ。

結果論では、新型コロナは人類社会に不利益を与えている高齢者のみに効くウイルスだった。私は4年前にも同じことを述べたが、このウイルスは神の恵みだった。苦労している人類を気の毒に思って神が生み出してくれたウイルスだ。今では新型コロナウイルスの効きめは衰えてしまったが、高齢者の振る舞いが目に余るようになれば、再び神の恵みがもたらされるだろう。そうでも思っていないと強制的に搾取されている若い人はやりきれない。そもそも生殖に無関係な高齢者が若い人の分の資源を浪費するとか、生物学的にあり得ないだろう。人類は滅びたいのか?

2025年12月28日日曜日

これからの医学の研究トレンドは個別性だと予言

健康診断では、血圧やコレステロール値が標準値を外れていると警告を受ける。しかし、標準値から外れていることは必ずしも問題ではない。むしろ、無理やり標準値に収めようとする行為こそが、かえって健康を害する。

そもそも「標準値」とは、多数の健康な人のデータから導き出された数値であり、厳密ではないが平均値に近いものだ。ここで冷静に考えてみてほしい。日本人の平均身長が172cmだからといって、それより背が高い人や低い人を、無理やり172cmに縮めたり伸ばしたりする必要があるだろうか。そのような行為がナンセンスであることは誰の目にも明らかだ。身長がその人の個性であるのと同様に、血圧やコレステロール値もまた、個々の身体の「個性」なのである。

具体例を挙げれば、コレステロール値が高い人は、高い状態で健康が維持できるように身体がバランスをとっている可能性がある。免疫機能や脳の働きを維持するためにあえてコレステロール値を高く保っているのにもかかわらず、これを無理に下げれば、当然ながら身体機能は低下する。近年、医学論文でこうした指摘が散見されるようになってきた。あと20年もすれば、個体差を無視して他人の数値に合わせようとする作業は、愚かな行為として認識され、医学界から消滅するだろう。

私がこのことに気づいたのは経済学のおかげだ。多くの経済理論が実体経済をうまく制御できないのはなぜか。それは、市場参加者の心理という統計値では表現できない不確定要素が実体経済系に内在しているからだ。常に不規則に変動する要素(人の心理)を多数内包する実体経済は「複雑系」となる。複雑系の振る舞いは予測不可能であり、どこで安定するか計算できない。人体もこれと同じである。人体は多数の構成要素から成り、その組み合わせは無限に近いバリエーションを持つ「複雑系」だ。したがって、それらすべてを単一の基準で同一視し、画一的な数値に管理しようとすること自体が不合理なのである。

2025年11月7日金曜日

病院が赤字になる理由

全国の病院の7割が赤字と言われている。理由は人件費を他企業並に上げる必要があるからだ。人件費を上げないと医師や看護師は辞めてしまって病院が運営できない。支払う人件費は上がるけれど、収入となる医療報酬は法律で決まっているから上げられない。収入が変わらないのに人件費を上げれば当然赤字になる。

それなら法律を変更して医療報酬を上げればよいのだが、それをやると高齢者が病院へ行っている分の健康保険の負担が増える。健康保険で負担しきれない分は赤字国債発行で補填する。赤字国債発行がさらに増えれば日本の財政が破綻してしまう。なので国は医療報酬を上げることを渋っている。

問題は、病院へ行く必要のない高齢者が病院へ行っていることに尽きる。なぜ病院へ行くのかというと、8割引や9割引や無料で楽しめるからだ。

どこかの国のように健康保険を民間の保険会社に任せればこの問題は解決する。民間の保険会社は、楽しみのために病院へ行くような連中が支払うべき保険料を高く設定するからだ。火災保険や任意加入の自動車保険はまさにそうなっている。燃えやすい家や、事故を起こしやすい人の保険料は高くなるようにしている。それが道理というものだ。

2025年8月7日木曜日

コーヒーが健康によいという論文が続々登場

ひと昔前まではコーヒーは健康に悪いと言われていた。ところがここ10年くらいでコーヒーを飲むと健康になる、認知症が防げる、長生きできると言った研究結果が続々出てきている。私はコーヒー好きなのでこれらの研究結果はうれしい。しかしちょっと思うことはある。

以前にコーヒーが健康に悪いと言われていたのは、驚くような理由があったのだ。世界大戦中にコーヒー豆の確保が難しくなったとき代用コーヒーと呼ばれる合成コーヒーが生まれた。その後戦争が終わるとコーヒー豆の流通は元に戻ったので代用コーヒーを飲む必要はなくなった。しかし、代用コーヒーを作っていた食品メーカーは売り上げが減って困った。そこで、大学教授に賄賂を渡して本物のコーヒーが健康に悪いという研究結果を発表してくれと頼んだのだ。健康に関する研究は、実験結果の評価方法をいじることでいかようにも結論を捏造することができる。特に統計学が発達してなかった昔はなおさらそれが簡単だ。コーヒーが身体に悪いという偽研究結果はまんまと世間に信じられて、それが50年近く続いた。

21世紀になって、コーヒーが健康に悪いという偽研究が否定されたのは喜ばしいが、これほどたくさんのコーヒーは健康によいという研究論文を目にすると、今度はコーヒー業者が大学教授に賄賂を渡しているのではないかと勘ぐりたくなる。

ちなみに塩が健康に悪いというのも偽研究だ。これは賄賂を渡されて行った研究ではなく、実験が未熟な研究だったというだけだが間違いは間違いだ。最近塩のとらなすぎの方が健康に悪いと言う論文が数編発表された。それらは塩悪者論文に比べるとまともな実験をしている。

統計が取られることはないだろうが、塩を摂らなかったために不健康になったり、早死にしたりした人の数はおそらく数億人単位で生じているだろう。愚かなことだ。別に最新の医学論文を読む必要はなく、自分の素直な身体感覚を信じればこんな愚かなことにはならないのに。塩が足りないと身体的にも精神的にも不調だなと思う状態になっているはずだ。なぜ自分の感じ方を認めないのか。

2025年7月18日金曜日

SNSが悪いのではない、最初の情報を信じる+確証バイアスという大衆の性質が問題なのだ

SNSによる投資詐欺がニュースになる。SNSなんて信用できない情報源を信じる愚か者がよくいるものだと、まともな人は感想を述べる。その通りなのだが、この現象には理由がある。

SNSだけが偽情報を流しているわけではない。口伝えのデマもあるし、憶測で嘘記事を書いている朝日新聞社のような例もある。テレビ局もやらせ番組を流すし、共産主義国家は政府が嘘情報を流す。こういう偽情報に騙される人とそうでない人の違いは何か。それは最初の情報だけを信じるかどうかだ。大衆は最初の情報だけを信じて複数の情報源にアクセスしないで行動を決める。これはインターネットが普及してからのことではなく、何千年も前から大衆はずっとそうだった。私たち選良にしてみればなぜ大衆はそのような行動をとるのか不思議に思うが、大衆にしてみれば選良はなぜ複数の情報源を調べるのかが不思議なのだ。

最初の情報を信じるという性質以外にも偽情報を信じる理由として、自分の望む情報を信じる「確証バイアス」という性質も挙げられる。これも大衆が持つ性質だ。

大衆であったが努力して選良になる人も稀にいるが、基本的には大衆は大衆のままで賢くなることはない。昭和初期にできた言葉「バカは死ななきゃなおらない」は名言だ。大衆のバカさ加減をなんとかしようとする努力はなかなか実を結ばない。地球や社会に迷惑を及ぼさないように大衆を導くには、上述の最初の情報だけを信じる性質を活用して正しい行動を促すなどの工夫をするとよい。そうなのだが、悪党ほどこの大衆の性質をうまく利用しているのも困ったものだ。

蛇足だが、マイナンバーカードの中に重要情報が入っているという偽情報を技術が何もわかってないバカ役人が最初に流したものだから、この偽情報は大衆の頭の中から永遠に消えないだろう。同じ理由で食塩が健康に悪いという偽情報も、おそらく永遠に消えない。しょっぱくて我慢できない状態になるくらいの食塩の摂りすぎよりも(そこまで塩を料理に投入したい人は誰もいないが)、食塩を摂らなすぎる方が健康に悪いのが真実なのだが。

複数の情報源を調べたから絶対OKという話ではなく、その情報源がどれだけ信頼できるかも吟味しなくてはならない。査読付きの論文であっても、論文で用いられた実験条件をよく吟味しないと信頼できるかどうかはわからない。実験結果の統計的評価方法も、これまで確からしいとされてきた検定方法への疑義が生じている現状もあり、これも基本に立ち返って吟味しないといけない。吟味のロジックを将来変えなくてはならない可能性にも考慮して、常に新たな論文にアクセスして考え続けないといけない。

2025年6月21日土曜日

当たり前と思っていることを疑えるかどうかが頭がよいかどうかの境目

歴史上の優秀な科学者や軍人は、それまで当たり前と思われていたことを疑い、もっとよいことを思いついた点が共通している。この優秀な人の特徴は現在でもそのまま通用する。健康に関することでも当たり前のことを疑うことが健康に生きるためには役立つ。日常生活でも当たり前のことを疑うことで、家事が楽になったり、お金が増えたりする。

今年の秋にwindows 10のサポート期限が切れることで騒いでいる愚かな連中が多い。彼らの当たり前は事実だろうか。
  1. サポート期限が切れるのは本当によくないことか
  2. 本当にwindowsを使い続けなくてはならないのか
どちらも間違っている。

サポート期限が切れているかどうかでクライアントPCのマルウェアに対する脆弱性は変わらない。クライアントPCがマルウェアに感染する主原因はユーザーのうっかり動作だ。クライアントPCでのうっかり動作は最新のOSだろうがセキュリティパッチをあてていようが、ユーザーが注意しないと防げない。だからOSを最新化してもセキュリティ的にはほぼ意味はない。これに気づいている人はOSのソースコードを読んで脆弱性の理由を理解している本物の専門家だけだ。通信を受けるサーバーでない限り、OSの脆弱性はほぼ問題にならない。

windowsはOSの選択肢のひとつでしかない。不便だとか危険だとか思ったら使うのをやめればよいだけのことだ。それができないと騒ぐ連中の中には「会社で使っているから」と言い訳をする者もいる。それは間違っている。社則に「社員はwindowsを使うこと」なんて定めている会社なんてない。管理システムの都合でwindowsでないと集中管理できない場合はあるかもしれないが、その場合でも情シスの管理者にお願いすればlinuxやmacにも対応した管理システムに更改してくれる可能性はある。実際にうちの会社はそうなった。その結果、windows PCは数では少数派になった。

windowsは労働生産性を落とす原因となっている。世界のGDPを1%くらい押し下げているのではないだろうか。これをきちんと数値で示せたら、どんな経営者もlinuxかmacに変えろと号令をかけるはずだ。

PCやソフトウェアを売らないといけない業界の人は、間違っていると思っていてもwindows 10のサポート切れを騒ぎ立てた方が儲かるのでそうしている場合があるだろう。それは仕方ない。証券会社や銀行につとめている人がリスクの割に儲からない商品をよくないと知りつつ顧客に勧めるのが仕方ないのと同じだ。

2025年6月7日土曜日

「認知症は考えるのをサボった結果でしょ」と言えない愚か者がいる理由

裸の王様に出てくる子供のように本当のことを言えばよいのに、それができない連中が多すぎる。

認知症は考えるのをサボった結果なのに、なぜかそれを認めない。老化が原因だとか運動がどうとか訳のわからん妄想をほざく連中が多かったが、最近の研究によりそれらの妄想を否定する結果がどんどん出てきている。運動をしてもしなくても、認知症になるかどうかについては有意差はなかった。認知症になるかどうかに影響したのは知的活動をしたかどうかだけだった。運動をすると認知症の予防になるという研究結果が過去に出ていた理由は、その運動をするときに同時に頭を使っていたからだった。頭を多く使う社交ダンスや水泳は認知症予防効果が高く、頭を使わないウォーキングは認知症予防効果が低い。身体が不自由で全く運動できなくても、知的活動をする人は認知症になりにくい。運動そのものは認知症とは関係なく、知的活動をするかどうかが認知症に関係する。脳内の老廃物をうまく分解・廃棄できるかについても、知的活動をするかどうかが大きく影響するという研究結果もでている。認知症になるかどうかは、考えるかどうかが最も影響するという当たり前の事実がやっと明らかになった。

「認知症になるのはおまえが何も考えてこなかったからだろ」と「太っているのはおまえが食い過ぎて運動してないからだろ」が同じことだとなぜわからない。裸の王様に忖度しているのか。この当たり前のことを認められない連中は、考えない怠け者ゆえに自分は認知症になるという事実を認めたくないのだろう。年齢や運動のせいにして、自分がバカであることを認めないのだ。人間として恥ずかしいし、情けない。自分の欠点を認められないから、そこから脱することもできない。

年齢を重ねるほど、失敗を多く経験して賢くなるのが人間の本来の姿だ。ところがその本来の姿を保っている高齢者のなんと少ないことか。そんな賢い高齢者は現在では100万人に一人いるかどうか。生殖能力もなく愚かで若者に迷惑をかける高齢者は、ひとりで墓場へ行って死んでほしい。それを行う象を見習ったらどうか。そのような立派な象を立派だと理解できる知性すら彼らにはないのがもうどうしようもないと言える。バカに限って子供や赤ん坊を犠牲にしてまで自分だけ生き延びようとする。醜い、見苦しい、恥ずかしい。

2025年5月26日月曜日

アルツハイマー型認知症のなりやすさは、本人が社会をいかに舐めて生きてきたかの指標だ

世界中で認知症の人間が増えている。日本だと80~84歳で男性16.8%、女性24.2%、85~89歳で男性35.0%、女性43.9%が認知症である。欧州だと男女合わせて、80~84歳で12.1%、85~89歳で21.9%が認知症だ。米国は統計の年齢刻みが違っておりこの形式のデータはない。男女合わせて75~84歳で19.4%、85歳以上で42.5%が認知症とのデータがある。

数値から日本と米国は認知症になる人の割合が欧州より高いことがわかる。米国と日本の割合は同程度だ。この2国が世界のトップ2というデータは実感と合っており納得できる。アルツハイマー型認知症は、本人が考えるのをさぼったから起きる症状だ。脳を働かせて考えることは、年をとろうが、身体が不自由だろうが、病気だろうが、誰にでもできる最も簡単な行為だ。それを自分の意思でしなかったのだから、自分の意思で認知症になったとみなしてよい。

日本の高齢者は(日本人全体がそうだが高齢者は特に)何も考えておらず、社会を舐めて生きている。米国も半分の国民がトランプ大統領を支持するくらいだから、日本人と同じくらい何も考えておらず、社会を舐め切っていることがわかる。これでは認知症になるのは当然だ。何の不思議もない。20世紀はじめからアメリカ国民から集めたアメリカ兵は間抜けだらけというのが世界の軍隊のコンセンサスだったのを思い出そう。建国時からアメリカ人の大半はバカばっかりである。

2025年5月17日土曜日

医学研究の発展により健康基準はひとりひとり違うものだということがわかってきた

最近の研究は健康に関する基準はひとりひとりが違うということを示したものが多い。体脂肪がどれくらいあるとよいとか、コレステロールがどれくらいあるとよいとか、血糖値を上げない食べ物はどれかとか、食塩をどれくらい摂ればよいとかはひとりひとりで極端に違う。

測定が簡単な血糖値で調べた例では、GI値が同じ食べ物を異なる人に食べてもらうと各々の血糖値の上がり方がまるで違うことが明らかになった。ケーキを食べたら血糖値がすごく上がる人もいれば、ケーキではほとんど上がらない人もいる。同じ二人に豆を食べさせたらケーキでは血糖値がほとんど上がらない人の血糖値がすごく上がって、ケーキですごく上がる人が豆ではほとんど上がらない結果となったりする。果物も一般に血糖値が上がらないと言われる種類の果物で血糖値がすごく上がる人もいる。

どんな食べ物がその人に合うのかはまちまちなのだ。たくさんの人を調べた平均値のデータは当てにならないどころか、ほとんどの人には害になりうる。だから、自分のデータを実験で調べないと自分に向いている食べ物はわからない。

そうは言っても、実験をしてくれるところは少ないし、全員分の実験ができるリソースもない。それではどうしたらよいかだが、自分の脳を鍛えて自分の脳で判断できるようにするのだ。脳を鍛えるとは、常に知識をアップデートできるようにすることだ。環境と自分の状態をよく観測して、どういう場合に何が良かったのかを常に考え続ける。こういうことを常に行っている人は「頭が良い」と言われる。その鍛え上げた脳で自分の食べたい物を判断すると、それはたいてい自分の健康によい食べ物なのだ。

2025年4月25日金曜日

頭の良い人ほど食事を欲しがらない謎

私の周りの数十サンプルの観測でしかないので、一般性はないかもしれない。しかし不思議のひとつではある。頭の良い人は食事を欲しがらないのだ。食事の優先順位が低い。脳は身体全体の20%のエネルギーを消費する。ならば頭を使えば使うほどエネルギー特に甘い物を欲しがるはずなのだが、そうではない。

身体内に蓄えた脂肪はグリセロール経由でブドウ糖へ変換できるが効率がとても悪い。タンパク質はブドウ糖へ変換できる。食事をしないで頭を使う人は、そうやってブドウ糖を補給しているのだろうか。タンパク質を分解してしまうと筋肉が痩せ細ってしまう。

2025年4月8日火曜日

女性の方がアルツハイマー型認知症になりやすい謎

アルツハイマー型認知症は、男性よりも女性の方が罹患しやすいとされている。これは寿命の長さだけが要因ではなく、寿命の差を考慮しても女性の方が認知症になりやすいことが示されている。

しかし、筆者の周囲では高齢女性で認知症を患っている人は少なく、逆に男性の半数以上が認知症である。このため統計データに違和感を覚えるものの、個人的な観察サンプル数が数十人であるのに対し、統計データは数百万のサンプルに基づいていることから、個人的な感想よりも統計データの方が信頼性が高いのは間違いない。

女性が認知症になりやすい要因としては、女性ホルモンであるエストロゲンの減少が挙げられる。エストロゲンは脳の神経細胞内でブドウ糖をATPに変換する働きを助ける役割を果たしている。ATPは脳に限らず、人体全体における共通のエネルギー源である。脳がエネルギー不足に陥ると、脳は自身の脳細胞を分解してエネルギーを得ようとする。この過程で脳細胞が損なわれ、脳の機能も低下するため、アルツハイマー病に罹患しやすくなると考えられている。

2024年10月29日火曜日

どうでもよい高齢者の医療はアホの生成AIでよくない?

日本の高齢者の医療ほどアホらしいものはない。本当に病院へ行く必要がある患者は1%以下だ。残りの99%は無駄な治療を受けてかえって健康を害しているという愚かさだ。彼らが健康になるためには、病院に行ったり検査をしたりを止めればよいだけなのに、頭の悪い高齢者にはそれがわからない。連中が自分の金(全額自己負担)で医療を受けているならレクレーションとして認めてもよいが、連中は現役世代が納めた保険料を無駄に使っている。社会保障費の負担のせいで現役世代の収入が減るために現役世代は結婚を諦めたり出産を諦めたりしている。これは亡国の危機である。ではどうしたらよいか。

今流行りの生成AIに診療させればよい。診療の結果、本当に人間の医者が診なければならない病気は人間の医者に回す。残りの医者にかかる必要のない患者は適当に話を合わせてから帰せばよい。どうしても薬を出せとバカ患者が騒いだら、益にも害にもならない粉を出しておけばよい。

このアイディアはずいぶん前からあるのだが、意味のない法律が妨害して実現できていない。また、誤診したら損害賠償をしなければならないことを恐れて営利企業は途中で断念してしまう。

という訳でこのアイディアが日本で実現されることはない。国民がバカだと亡国は免れないという極めて普通の結果だ。面白くもなんともないし騒ぐことでもない。ごく当たり前のことが当たり前に進んでいるだけだ。

2024年10月21日月曜日

マイコプラズマ肺炎の細菌により肘関節痛になる

マイコプラズマ肺炎の発熱や倦怠感は2週間前におさまったが、咳だけは未だに続いている。そして5日前に右肘に違和感が生じた。4日前に痛みが増し、3日前には痛くて肘を曲げることも伸ばすこともできなくなった。右肘を酷使する運動はしていないので、内科的な原因だろうと思った。最初は関節リウマチを疑ったが、調べるとリウマチはひとつの関節だけではなく、複数の関節に現れるそうだ。関節リウマチは免疫系の病気だからだ。関節リウマチではない。痛風は足の指に症状が出るはずなのでこれも違う。さらに調べると、化膿性関節炎というのがあった。細菌が関節内に侵入して化膿する疾患で、進行が早いのが特徴だそうだ。細菌はおそらく肺炎マイコプラズマだろう。

細菌の感染ならば自分の免疫で治せるはずと思って(土日は病院休みだし)、栄養をとって休養をとった。すると2日前の土曜日には少し痛みが減った。そして昨日はかなり痛みが減った。まだ右肘は自由に動かせないが、両腕を使ってズボンを履くことはできるようになった。実は2日前まで右腕が動かせず左腕だけで着替えていたので、ズボンを履くのが難しかった。そこでスウェットパンツやパジャマで過ごしていたのだ。助かった。これなら明日には回復するだろう。

2024年10月8日火曜日

高齢者を甘やかすことをやめないと国が滅びる

これは日本に限ったことではないのだが、若い人よりも高齢者を大事にする文化が国を滅ぼす。日本はそれが顕著で、それやっても高齢者が不幸になってしまうだけだよと思うことでも、バカの自己満足のために高齢者を大事にするポーズをとってしまう。それが国民全員を不幸にしている。

脚が悪くなって杖がないと歩けなくなった人を歩かなくても生活できる老人ホームに入れたら、半年で歩けなくなってそれが原因で認知症になったなんて話はよく聞く。本当にその人のためを考えるなら「何があっても自分で歩け」と言うのがいちばんよいのだ。

財政破綻した夕張市で市民病院が閉鎖された結果、夕張市の高齢者の健康な人の割合が増えたなんてのも報告されている。大した理由もなく病院へ行って治療を受けたり薬をもらったりするのはかえって健康を害すると言う証拠だ。

無意味な高齢者保護政策下での最大の危機は介護人員を確保するために移民を増やす政策が実施されることだ。老人ホームの介護者は不足している。これは改善される気配は全くなくどんどんひどくなっている。そのために閉鎖される老人ホームも出ている。介護者を確保するためには給与を上げればよいのだが、今の介護保険の財源ではそれはできない。そうなると、低賃金で働いてくれる移民を入れるしかないという結論になるはずだ。私は外国人を低賃金で働かせることには反対だが、私が反対しても何の力もなく多数決で移民が入ってくることが決まるだろう。

今の日本の人口に対する移民の割合は2.7%だが、今後は5〜10%に増える。私は外国人の友人はたくさんいるが、良い人も悪い人もいる。外国人だから悪党ということはない。しかし、低賃金で働くことを強制された外国人の移民が良い人になる確率は低いと思う。治安が悪化するのは仕方がない。

日本は驚くほど急激に衰退し、難民キャンプのような国になるだろう。それは国民が自分で希望して招いたことなので自業自得としか言えない。

なぜ日本人はこんなに甘えるのか。私のように決して自分を甘やかさない生き方をすれば、80歳になっても40歳の肉体のままでいられるのに。100歳になったときも、誰の世話にもならずに生きていけるのに。甘えて何の得があるのかさっぱりわからない。

2024年10月2日水曜日

マイコプラズマ肺炎が流行中で大人がかかるとつらい

廊下でどさっという大きな音がしたので、驚いて駆けつけてみると妻が倒れていた。救急車を呼ぼうか迷ったが、具合を聞くと症状自体は風邪だ。そのままベッドに運んで寝かしつけた。2日経ったら動けるようになったので病院に行ったらマイコプラズマ肺炎だった。症状は頭痛とか倦怠感とか発熱とか風邪と一緒なのだが、喉がひどく痛んで咳が長期間続くのが特徴だ。運が悪いと肺炎になって重症化する。10日経って頭痛や発熱はなくなったがまだ喉の痛みが続いているそうだ。

そして、これは予想できたのだが私に感染ってしまった。同じ症状だ。私の場合は胸がひどく痛くて眠れない。肺炎になりかけている。私も2日ほど横になったら動けるようになったので病院へ行った。その後7日くらいで発熱や胸の痛みはなくなったが、まだ喉がイガイガする。

マイコプラズマ肺炎が地方で流行っているというニュースが妻が倒れたときに確認できた。そして東京でも流行っていると今日ニュースで流れた。これまでひいた風邪の仲間の中でいちばん症状が苦しかったのはインフルエンザだが、マイコプラズマ肺炎はその次くらいに苦しかった。

これまで身内で新型コロナにかかった人は91歳の母親と23歳の姪しかいないのだが、彼女らの感想では「新型コロナは普通の風邪より楽だった」そうな。やっぱりねえ。なんだか騒ぎすぎだと思っていた。新型コロナで重症化する人は普通の風邪でも重症化する人だ。新型コロナだけを騒ぐのは理屈に合わない愚かなことだった。医師会の騒いでいる連中を見ていると台風がきて眠れずに騒いでいる子供にしか見えなかった。恥ずかしい。

100年前のスペイン風邪として知られているインフルエンザAは当時の日本で38万8千人が亡くなった。100年経った今でもインフルエンザにより日本では毎年1万人(年によってかなりばらつく)が亡くなっている。新型コロナは4年間で7万5千人が亡くなったが、転んで死んでも新型コロナ陽性だと新型コロナの死者にカウントされていたので、これより少なく見積もる必要がある。さて、100年経っても猛威を振るうインフルエンザとどう考えてもただの風邪である新型コロナとどちらをより恐れるべきだろうか。

2024年9月29日日曜日

階段登りをすると認知症になる可能性が1.55倍に上昇するという研究があるが、統計の相関は因果関係ではないことに注意

認知症の予防には運動が良いという話をよく聞くが、それに関しての研究結果が2003年に発表された。もちろんまだ研究の初期段階であり実験方法には改良の余地があるので、この結果がファイナルアンサーではない。

論文によると、以下に示すように認知症の可能性を減じる運動と可能性を増やす運動があるとのこと。

[認知症の可能性を減じる運動]
  • 社交ダンス 0.24倍
  • 水泳 0.71倍
[認知症の可能性を増やす運動]
  • 階段登り 1.55倍
  • 自転車 2.09倍
この論文は解説記事の中で紹介されている。解説記事の元になった書籍は浜松医科大学名誉教授の高田明和氏の著書だ。その書籍の中でこの論文の内容に言及している。解説記事では階段登りのことを登山と記載していた。論文中では"climbing stairs"と記述しているので登山ではなく階段登りと記載すべきなのだが、解説記事ではどういう意図で登山という言葉に訳したのかは謎だ。登山と書いたのが高田氏なのか解説記事の著者なのかも謎だ。

この研究の被験者は469人と少なく、人種もばらつきがあるので実験の信頼性はそれほど高くない。それを承知した上での軽めの結論だが、運動強度が強くても弱くても認知症を予防する働きには影響しないことがわかった。認知症を予防するために必要なのは知的活動の方だ。身体を動かすこと自体には認知症予防効果はないが、身体を動かすときに付随する知的活動が認知症を予防しているということのようだ。つまり激しい運動をしても認知症予防には役立たない。全く運動をしなくても知的活動をすれば認知症の予防になる。

階段登りや自転車が認知症になる可能性を増やすことは予想外の結果なので理由を知りたいところだが、論文では理由について何も言及していない。それでは納得できないということだろう、解説記事では転んで怪我をして動けなくなると認知症になる可能性が上がるのではないかという独自の考察をしていた。転ぶことを強調したいがために解説記事では階段登りを登山と訳したのかもしれない。あるいは単にclimbingだけを見て続くstairsを見落としたために登山と訳したのかもしれない。

階段登りが認知症と相関する理由に対する別の視点を私は提供しよう。相関では因果関係を正しく導けないことがあると指摘したい。

相関と因果関係の違いを示す分かりやすい例を挙げよう。気温とTシャツを着ている人の割合を調べると正の相関がある。だからと言って「Tシャツを着る人が増えたから気温が上がった」訳ではない。「気温が上がったからTシャツを着る人が増えた」と解釈するのが正しい。どちらが原因でどちらが結果かは相関を調べるだけでは分からず、別の調査が必要だ。Tシャツの例だとTシャツを強制的にたくさんの人に着せて気温を測ればTシャツに気温を変える力がないことが証明できる。

先ほどの研究結果を「登山(階段登り)をすると認知症になる可能性が上がる」と解釈するのは虚偽の原因の誤謬かもしれない。「認知症になりやすい人が登山を好む」が正しい解釈の可能性がある。認知症になるような人は常日頃からものを考えないから、年をとってから登山を始めるという愚かなことを選んでしまう。真の登山好きなら若い頃に登っている。年をとってからの登山は身体に強い負荷をかけて健康に悪いし、怪我をする可能性がある愚かな行為だ。年をとってからわざわざ身体に悪い登山を始めるということは、頭が悪いことの証左である。頭が悪い人ほど認知症になりやすいことは既存研究[1][2]により確からしいことが判明している。その結果、登山をすると認知症になりやすいように見える。これはあくまで私見であり、解説記事が指摘したように登山は怪我をしやすいから、怪我の後動けなくなって認知症になるという機序かもしれない。自転車も認知症増加と相関があることから、怪我原因説の方がもっともらしい。

社交ダンスでは新しいステップを学ぶのは記憶力を使うし、身体を思い通りに制御するにも頭を使うので、認知症の予防に良いと言うのはよく分かる。水泳もマスターズレベルで練習している場合は、泳ぎ方の試行錯誤にとても頭を使うし、身体を思い通りの制御するのも頭を使うので認知症の予防に良いのはこれもよく分かる。両者は頭の使い方が似ているのに社交ダンスの方が圧倒的に認知症予防に効果的なのは、おそらく社交ダンスは二人で踊るからだろうと思う。相手に合わせる、相手をリードするという作業はひとりで身体を動かすときよりもさらに頭を使うからだ。

水泳であっても、向上心なくただ長く泳いでいたり、プールで長く歩いていたりするだけでは頭を使わないから、それだと認知症予防には役立たない。

2024年9月8日日曜日

認知症になるかどうかと寝たきりになるかどうかは子供のころに決定している

世界中で健康寿命が伸びている。日本も健康寿命は伸びていて、寿命との差は以前は12歳あったのだが10.6歳に縮まった。10.6歳は世界と比べてすごく良い訳ではないが、すごく悪い訳でもなく標準的な数値だ。しかし認知症になる人の割合は世界でいちばん多く、寝たきりになる人の割合も世界でいちばん多い。しかもそれらの割合は50年前から増加し続けている。つまり日本の高齢者の人としての生の質は世界一悪い。この問題を解決するために高齢者の医療を改善しようと努力する人もいるが、残念ながら的外れな努力だ。認知症になる人も寝たきりになる人もそれは子供のころに決まっている。これは教育の問題なのだ。

前にも本ブログで書いたが、日本人は人の生きる意味をまともに考えたことがない人が多数派だ。日本以外の国の人に生きる意味を問うと「自分がよく生きる」「他人のために生きる」などと普通に答える。日本人はこう答える割合がいちばん小さい。自分がよく生きるとは、金持ちになるとか権力を持つという意味ではなく、自分にとって価値があることを懸命に行うという意味だ。価値があることは人によって違う。日本人がよく生きることができないのは、自分にとって価値があることは何かを深く考えないからだ。これは親の教育や学校の教育が悪いのでこうなってしまっている。日本の教育は全て「他人と同じようにせよ」「他人と価値観を同じにせよ」だ。これでは自分にとって価値があることは何かを考える子供は育たない。そのまま大人になって、他人がやるようなことをする、人から言われたことをするだけの人生を過ごす。哀れなことに定年退職して仕事がなくなるとすることがないと言い出す。することがあるという連中も、他人がするような趣味をまねしているだけ。それでは人として生きているとは言わない。これは定年退職してからのことだけを指しているのではない。子供のころから人として生きていないのだ。こういう人間(人間と言ってよいのか疑問ではあるが)は認知症になりやすいし、寝たきりになりやすい。頭を使わないし向上心もないから当然のことだ。

日本人のこの性質は為政者にとっては理想的だ。非常に統治しやすい。間違った政策でも疑うことなく従うからだ。あまりに統治しやすいので、為政者も工夫や努力をしなくなって時を経るにつれて為政者の質がどんどん下がってしまった。今の日本の政治家が全員無能なのは、無能でも十分に統治できるからだ。

また日本人のこの性質は産業にも有利だ。優秀な社長の方針のもと、社員が一丸となって目標に向かってゆけるので成果が出やすい。ところが、優秀な社長もいつかは引退する。次の社長は他人と同じようにする連中の中から選ぶしかない。当然優秀なやつはいない。するとだんだん会社は傾いてゆく。これも仕方ないし当然のことだ。こうならなかったらそれはとても珍しいことだ。