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2025年8月12日火曜日

経済未来予想:物価高、株高、円安

10年先、20年先の未来の日本は物価高、株高、円安になる。

将来の物価高は当たり前だと誰でも言うだろう。これに関しての補足説明は不要だ。

株高は物価高から導き出される。国の経済がどんなに低迷していても、物価と株価は連動する性質がある。これは世界の資本主義国全てで共通している。ここ40年間の米国がそうなのは誰でも知っている。トルコはこの20年間はすごいインフレだが物価上昇率と株価上昇率は同じだ。この性質の最も顕著な例は第一次大戦後のドイツだった。戦後賠償金のせいでドイツが1兆倍ものハイパーインフレになったのは有名だ。物価は1兆倍になった。同時にドイツの株価は2兆倍になった。あれだけドイツ国民が困窮していたのに株価は物価に連動して上がったのだ。これらの性質から、どんなに日本経済が低迷しても物価高が続く限り株価は上がるとわかる。たまの株価暴落はあるが、それは一時的なもので物価上昇に合わせて株価は上がり続ける。

円安は社会に出回るお金が増え続けることが理由だ。日本の社会保障費改革は残念ながら永久に起こらない。足りない社会保障費は国債発行(日銀が引き受けた分は貨幣発行に相当する)で賄うことになる。それにより社会に出回るお金が増える。銀行貸し出しによる信用創造でお金が増えたのではなく、貨幣発行でお金が増えたのだから、日本の貨幣価値は低くなる。そのために円安になる。信用裏付けなしの貨幣を発行することは、プリントごっこでお札を印刷していることと同じだ。そんなおもちゃのお札で代金を支払うと言われて納得して受け取る外国人は少ない。

2025年8月7日木曜日

コーヒーが健康によいという論文が続々登場

ひと昔前まではコーヒーは健康に悪いと言われていた。ところがここ10年くらいでコーヒーを飲むと健康になる、認知症が防げる、長生きできると言った研究結果が続々出てきている。私はコーヒー好きなのでこれらの研究結果はうれしい。しかしちょっと思うことはある。

以前にコーヒーが健康に悪いと言われていたのは、驚くような理由があったのだ。世界大戦中にコーヒー豆の確保が難しくなったとき代用コーヒーと呼ばれる合成コーヒーが生まれた。その後戦争が終わるとコーヒー豆の流通は元に戻ったので代用コーヒーを飲む必要はなくなった。しかし、代用コーヒーを作っていた食品メーカーは売り上げが減って困った。そこで、大学教授に賄賂を渡して本物のコーヒーが健康に悪いという研究結果を発表してくれと頼んだのだ。健康に関する研究は、実験結果の評価方法をいじることでいかようにも結論を捏造することができる。特に統計学が発達してなかった昔はなおさらそれが簡単だ。コーヒーが身体に悪いという偽研究結果はまんまと世間に信じられて、それが50年近く続いた。

21世紀になって、コーヒーが健康に悪いという偽研究が否定されたのは喜ばしいが、これほどたくさんのコーヒーは健康によいという研究論文を目にすると、今度はコーヒー業者が大学教授に賄賂を渡しているのではないかと勘ぐりたくなる。

ちなみに塩が健康に悪いというのも偽研究だ。これは賄賂を渡されて行った研究ではなく、実験が未熟な研究だったというだけだが間違いは間違いだ。最近塩のとらなすぎの方が健康に悪いと言う論文が数編発表された。それらは塩悪者論文に比べるとまともな実験をしている。

統計が取られることはないだろうが、塩を摂らなかったために不健康になったり、早死にしたりした人の数はおそらく数億人単位で生じているだろう。愚かなことだ。別に最新の医学論文を読む必要はなく、自分の素直な身体感覚を信じればこんな愚かなことにはならないのに。塩が足りないと身体的にも精神的にも不調だなと思う状態になっているはずだ。なぜ自分の感じ方を認めないのか。

2025年8月5日火曜日

ニーチェの描く末人と日本人が似ている

ニーチェは「ツァラトゥストラはかく語れり」の中で、「末人」(Letzter Mensch)を以下のように描いている。
  1. 平等主義的: 平和と安穏を好み、すべての人が平等であることを望む。
  2. 危険を避ける: 困難やリスクを回避し、安全で快適な生活を最優先する。
  3. 主体性の欠如: 個々の信念や価値観を持たず、社会や他者の意見に流されやすい。
  4. 自己満足: 小さな楽しみや快楽に満足し、大きな目標や理想を追求しない。
  5. 知的な傲慢: 誰でも知的な意見を述べられるようになったことで、深い思索や真理の探求を怠る。
  6. 家畜化: 飼い慣らされた家畜のように、自分で考えることを放棄し、群れの中に安住する。
ニーチェが生きた期間は1844〜1900でドイツの人だ。なぜ2025年の日本人のことを述べているのか?1883〜1955に生きたスペイン人のオルテガも似たようなことを言っていた。人間を甘やかすと堕落するのは世界共通らしい。

2025年7月29日火曜日

民主主義から独裁体制へ という手引書が必要だ

「独裁体制から民主主義へ」はジーン・シャープの名著である。この本の中で述べていることを私は全て肯定する。その通りだ。ただし、本の想定外のことには適用が難しい内容ではある。それを3つ挙げる。

  1. 体制側に暴力を使う口実を与えないために非暴力で抵抗するというのが本書の骨幹をなす考え方だ。それに対する体制側の対処策が存在していて普通に使われている。プーチンはチェチェン人の仕業に見せかけて自作自演のテロを実行し、それを口実にチェチェンに攻め込んだ。チェチェン人は暴力を使ってないのに体制側は暴力を使う口実を自らでっちあげた。日本が行った盧溝橋事件もそうだ。この手の企みは歴史を紐解くとたくさんある。
  2. 非暴力で抵抗するメンバーの知性がある程度高くないと本の方法は実行できない。日本やアメリカだと国民がバカすぎてこの方法は使えない。この点は多くの人が指摘している。
  3. 民主主義なのに独裁体制よりひどい状態になっている国もたくさんあって、日本もそのひとつなのだが、その場合はどうしようもない。倒すべき独裁者がいないのだから。

民主主義なのに独裁体制よりひどい状態になっている国は衆愚政治に陥っている。プラトンとポリュビオスが述べたように衆愚政治は君主による独裁政治に移行しないと修正は難しい。となると新たに本を書かねばならないように思う。タイトルは「民主主義から独裁体制へ(衆愚政治から君主政治へ)」だ。どうやったら君主政治を実現することができるかをジーン・シャープがそうしたように具体的な方法と共に示すのだ。

2025年7月26日土曜日

さらに北斗の拳の世界に近づく

33年前から何度も何度も「日本は北斗の拳に出てくるような世紀末の社会になる」と言ってきた。当初は私は変わり者扱いだったが、今ではなぜそれが予想できたのかと聞かれるようになった。

これは何度も述べたが日本人は何も考えないで生きるように教育を受けるからだ。最初に覚えたことは一生守るようにとも教育を受ける。最初に覚えたことが間違っていたと判明しても、それを間違いと認めないようになる。

この性質とほぼ同じだが、日本人は自分が失敗したことを認めないのも理由だ。失敗は学習して成長する最大のチャンスなのに、日本人は失敗を認めないので学習するチャンスを活かせずにバカのまま年をとる。

世界のどこでも大衆が愚かなのは共通だ。日本人が世界の中でも特異なのは努力して自らをバカ化しているところだ。赤ん坊のころは好奇心旺盛な普通の知性を持っていた子が、学校で真面目に努力すればするほどバカに近づく。日本と北朝鮮は瓜二つだと以前から述べていたのは、子供が洗脳されるところがそっくりだからだ。

さらに日本が異常なところは、能力が低い者は能力が高い者より大きな権利を持ち、能力が高い者から権利や財産を奪うのは正義だと言う、トンデモ理論がまかり通っていることだ。これを続けると能力が低い者ほど生き延びてしまい、種は進化ではなく劣化して最終的に滅びる。全ての生物が自らの種を生き延びさせるために力を尽くしているのに、日本人は自らの種を滅ぼすために力を尽くしている。共産主義ではこうなりやすいので、ソ連をよく知っている人は共産主義の日本がこうなるのは当たり前だと言うだろうか。

2025年7月23日水曜日

FAXを使い続けているのは日本だけじゃない

業務連絡にFAXを使い続けているのは日本だけみたいなイメージがあるが、実はそうでもない。業務での利用率はアメリカの方が高い。
  • アメリカ:約69%(2023年調査)
  • ドイツ:約51%(2024年調査)
  • 日本:約40%(2024年調査)
アメリカ人は上はとても頭が良いが中と下は世界でも頭が悪い方に属すのでこの結果は納得できる。ドイツが多いのは意外だが、理由は「取引先がまだ使ってるから」だった。そうであってもドイツはFAXをOCRで読み取ってデジタル化する技術が普及していて、FAXで送っても紙に埋もれて困るわけではない。そんな面倒で繊細なことをするなら最初からデジタルで送れば楽なのにと思うが、そんな職人技みたいのが好きなのもドイツ人らしいということか。

イタリアは中小企業が多いからFAXを多く使っているのではないかと思ったが、ドイツよりは少ない。意外に合理的な国だった。

2025年7月20日日曜日

日本人は頭が悪いくせになぜ無謬性を重視するかな(それも頭が悪いからだよ)

昔からずっとそうだったが、頭が悪い人間ほど無謬性(間違いを許さない性質)にこだわる。大事なことをおろそかにしているのに、どうでもよい細かいことを気にする。単にバカだからで説明がつくのだが、なぜバカは無謬性にこだわるのかについてわかったことがある。

バカとそうでない人の最大の違いは、ものごとの重要性を正しく順序づけできるかどうかだ。やらなくてはならないことはたくさんあって、どんなに有能で多才な人であっても全部をこなすことはできない。そこで、やらなくてはならないことの重要性に順序をつけて、大事なことからやっていくことになる。バカといわれる人たちは、みんなこの順序づけができないか間違った順序をつける。そのためにバカが一所懸命に何かをやっても、よくない結果を招く。往々にして何もしなかった方がマシという結果になる。

賢い人はできることに限界があることを知っているから、大事なことだけを一所懸命にやってどうでもよいことは放っておく。どうでもよいことを正しく行うことにこだわらない。賢い人ほど無謬性が愚かなことだと知っている。

バカはものごとの重要性の順序づけができないから、「全部を正しく行う」としか決められない。バカが無謬性にこだわるのはそういう理由だ。

ものごとの重要性の順序づけを正しく行うのはとても難しく、普通の人間なら80年間みっちり考え続けてやっと自分の順序づけは9割がたは合っているだろうかと思えるくらいだ。論語では70歳で従心(心の望むままに行動して道を外れない)と述べている。現在は論語が書かれた時より社会が複雑になっているから70歳で従心というのは難しい。現在では最低でも80歳になることが必要だろう。ところが日本人は30歳くらいからバカになり始めて60歳以上はほぼ全員がバカという情けなさだ。論語に書かれたように年とともに賢くなってゆく人は1万人にひとりいるかどうか。情けない。

2025年7月18日金曜日

SNSが悪いのではない、最初の情報を信じる+確証バイアスという大衆の性質が問題なのだ

SNSによる投資詐欺がニュースになる。SNSなんて信用できない情報源を信じる愚か者がよくいるものだと、まともな人は感想を述べる。その通りなのだが、この現象には理由がある。

SNSだけが偽情報を流しているわけではない。口伝えのデマもあるし、憶測で嘘記事を書いている朝日新聞社のような例もある。テレビ局もやらせ番組を流すし、共産主義国家は政府が嘘情報を流す。こういう偽情報に騙される人とそうでない人の違いは何か。それは最初の情報だけを信じるかどうかだ。大衆は最初の情報だけを信じて複数の情報源にアクセスしないで行動を決める。これはインターネットが普及してからのことではなく、何千年も前から大衆はずっとそうだった。私たち選良にしてみればなぜ大衆はそのような行動をとるのか不思議に思うが、大衆にしてみれば選良はなぜ複数の情報源を調べるのかが不思議なのだ。

最初の情報を信じるという性質以外にも偽情報を信じる理由として、自分の望む情報を信じる「確証バイアス」という性質も挙げられる。これも大衆が持つ性質だ。

大衆であったが努力して選良になる人も稀にいるが、基本的には大衆は大衆のままで賢くなることはない。昭和初期にできた言葉「バカは死ななきゃなおらない」は名言だ。大衆のバカさ加減をなんとかしようとする努力はなかなか実を結ばない。地球や社会に迷惑を及ぼさないように大衆を導くには、上述の最初の情報だけを信じる性質を活用して正しい行動を促すなどの工夫をするとよい。そうなのだが、悪党ほどこの大衆の性質をうまく利用しているのも困ったものだ。

蛇足だが、マイナンバーカードの中に重要情報が入っているという偽情報を技術が何もわかってないバカ役人が最初に流したものだから、この偽情報は大衆の頭の中から永遠に消えないだろう。同じ理由で食塩が健康に悪いという偽情報も、おそらく永遠に消えない。しょっぱくて我慢できない状態になるくらいの食塩の摂りすぎよりも(そこまで塩を料理に投入したい人は誰もいないが)、食塩を摂らなすぎる方が健康に悪いのが真実なのだが。

複数の情報源を調べたから絶対OKという話ではなく、その情報源がどれだけ信頼できるかも吟味しなくてはならない。査読付きの論文であっても、論文で用いられた実験条件をよく吟味しないと信頼できるかどうかはわからない。実験結果の統計的評価方法も、これまで確からしいとされてきた検定方法への疑義が生じている現状もあり、これも基本に立ち返って吟味しないといけない。吟味のロジックを将来変えなくてはならない可能性にも考慮して、常に新たな論文にアクセスして考え続けないといけない。

2025年7月14日月曜日

日本経済研究センタの2075年経済予測

日本経済研究センタは民営の機関だ。経済予測を官営機関がしたら政府に忖度して嘘ばっかりになるので、政府に忖度しない民営機関でないと信用できない。民営機関であっても、新聞社やテレビ局はなぜか政府に忖度するのでやはり信用できない。日本経済研究センタを100%信用するとは言わないが、ある程度は信用できる。

今回の報告は題名にAIという単語が入っているものの、重要なのは日本の生産性の予測値だ。日本の生産性の伸び率は、標準シナリオで30%、改革(楽観的)シナリオで40%と予測している。日本のGDPは標準シナリオだと世界11位に落ち、改革シナリオだと世界4位を維持できるとのこと。

世の中をよく知る人は、標準シナリオの30%生産性が向上するという話もかなり楽観的だと思うのではないか。日本経済研究センタのような研究機関とか大学とかベンチャー投資集団とか、回りにそれなりの頭脳の人ばかりがいる環境で長く生きていると、人間はそこそこ頭が良くて合理的な判断をするものと思い込む傾向がある。2500年前のソクラテスを始め、そういう甘ちゃんの考え方をする学者は多かった。しかし現実は違う。ソクラテスの弟子のプラトンは大衆は愚かだと見抜いた。もちろんプラトンが正解だ。

日本経済研究センタの人たちは30%と予測したが、私は日本の生産性の伸び率はよくて10%だと思う。10%を使って2075年のGDPを計算すると世界30位くらいに落ちるだろう。一人当たりのGDPだと世界100位程度まで落ちる。完全に後進国だ。

普通はここまで落ちぶれると他国が侵略してきて征服するので、そこでリセットされて新たな成長の歴史が生まれる。ところが第二次大戦後に国境をむやみに変えてはいけないという欧米諸国だけが得をするずる賢いルールがはびこったので、日本を侵略してリセットしてくれる他国がいない。なので、日本は行くところまで落ちぶれるしかない。その結果、日本は北斗の拳の世界みたいになる。ただしケンシロウはおらずラオウもいないので、チンピラの悪党とそれに迎合するバカ国民が跋扈するだけになる。冷静に考えたら今すでにそうだった

2025年7月7日月曜日

無駄な個人金融資産のおかげで日本はインフレから免れている可能性

2025年3月期の個人金融資産は2195兆円だった。内訳は以下の通り。
  • 現金・預金     1120兆円    51.0%
  • 保険・年金       544兆円    24.8%
  • 株式等             268兆円    12.2%
  • 投資信託          131兆円     6.0%
  • その他(債券等)132兆円   6.0%
個人金融資産2195兆円のうち、高齢者が1100兆円を所有している。金融資産の5割を人口の3割でしかない高齢者が持っている。タンス預金は個人金融資産2195兆円に含まれない。タンス預金は100兆円だと推定している人がいる。こんなに高齢者がお金を持っている理由は日本の社会主義政策のせいだが、今回は社会主義政策の問題については議論しない。

社会に出回っているお金であるM3マネーストックが総額1600兆円だ。これは信用創造で作られたお金を含むがその影響の議論は一旦置いておく。日本はこれまで日銀引き受け国債としてのべ600兆円のお札を印刷してきた。M3マネーストック1600兆円のうち600兆円がプリントごっこで刷ったお金ということだ。本来お金は1000兆円しかなかったのに、おもちゃのお金を600兆円たして1.6倍に水増しした。単純に考えればお金の価値は薄まって、物価は1.6倍になっているはずだ。しかし物価の値上がりは2019年まではゼロで、2025年でもせいぜい1.2倍でしかない。なぜ日本では貨幣価値の希薄化によるインフレが進まなかったのか。

以前のブログでも述べたが、この理由は高齢者がお金を死蔵している+銀行が有効な貸出先を見つけられないからだ。タンス預金はまさに死蔵されている。銀行預金であってもそのお金を企業に貸し出して産業の発展のために投資できないとそれは実質的には死蔵されていることになる。死蔵されているお金は存在しないのと同じだ。日本ではプリントごっこでおもちゃのお金を印刷したのだが、その大部分が死蔵され影響が消えてしまった。そのためお金の価値が希薄化せず、これまでインフレが進まなかった。

お金を死蔵している高齢者が死んでそのお金が相続されて子孫に渡るとこの状況は変わる。遺産を相続した子孫が裕福ではない場合は相続したお金を使う。お金は社会に流れ出し、お金の希薄化が始まる。その結果インフレが進むことになる。

MMTではお金を印刷してもある程度は平気だと言われていた。その実例として米国と日本が挙げられていた。米国が平気なのは軍事的・経済的信用により米ドルが基軸通貨だからだ。日本が平気なのは上述したように国民がお金を死蔵しているからだ。どちらの国も平気だった理由が揺らぎつつある。

以下は蛇足であり本論とは無関係だ。最初に挙げた個人金融資産の内訳を以前の数値と比べると、現金・預金が減り、株式と投資信託も減っている。そして保険・年金が増えている。現金・預金が減ったのはインフレに対応したいという国民の意思の表れだ。株式と投資信託が減って保険・年金が増えているのは興味深い。自らリスクを取りたくない日本人の性質が読み取れる。保険会社や年金運用機関は株式などのリスク資産でお金を運用している。保険会社は運用リスクを負担する代わりに、リスクプレミアムの一部を受け取っている。

2025年6月29日日曜日

事務処理専任社員が廃止されて労働生産性が低下

20年前に事務処理専任社員が廃止された。それまでは各部署に事務処理専任社員がいた。社員と書いたけどベテランの管理職が付く役職だ。勤怠管理をはじめ契約とか各種申請とか社内のあらゆる疑問はこの人に聞くと解決する。このために我々は仕事に集中できて、労働生産性が上がっていた。この人を補佐するアルバイトも2名雇っていた。こんな人が各部署(総勢40名くらい)に一人いた。部署数は全部で50あったから50名の事務処理専任社員がいたことになる。

ところが20年前に人件費削減のためにこの役職を廃止したのだ。全ての事務処理は我々社員一人一人がすることになった。平社員だろうが課長だろうが部長だろうが自ら行わなくてはならない。さすがに役員以上は秘書がつくので秘書に任せることができる。その結果どうなったか。全社的に労働生産性が落ちたのだ。

勤務表投入などの毎日する処理は惰性でできる。しかし海外出張とか他社との守秘契約とかたまにする処理で詰まる。過去にやったことはあっても、1年も間が開くとやり方を忘れてしまう。そこでマニュアルを読み直してやり方を学ぶ必要がある。マニュアルがどこにあるかも忘れてしまっているので、そこから調べなくてはならない。やり方さえわかれば事務処理の書類入力は30分程度で済むが、マニュアル探しとマニュアル読み込みは下手をすると半日つぶれる。この非効率を全社員に強制しているのだ。労働生産性が落ちるはずだ。

事務処理に必要な税制とか輸出規制とかの法律の原則をひとりひとりの社員が知ることは意味があると思う。しかし、書類の作成をひとりひとりの社員が行うのは意味がない。例えば確定申告のときに行う書類作成を思い出せば分かる。1年に1回しか処理をしない我々が書類の書き方を理解するのはとても時間がかかる。ところが税理士事務所の人は同じ作業を毎日繰り返しやっているので、書き方は頭の中に入っている。100通の書類を作成するとき、我々素人100人がそれぞれ作成するために必要な総時間と、税理士事務所の職員が一人で100通を作成するのに必要な時間は、前者の方がはるかに時間がかかる。これは非効率だ。

20年前に事務処理専任社員を廃止した会社の上層部は経営がわかっていなかったのだ。それが今でも改善しないということは、悲しいかな今の上層部もおつむが弱いのだ。人件費を節約しようとして却って無駄遣いになっているのがわからないらしい。

2025年6月27日金曜日

レンジローバーが高級車としての地位を確立した歴史

ランドローバー社のレンジローバーは高級車として知られている。同じ形式のアメリカのジープやトヨタのランドクルーザーやスズキのジムニーはそれほどの高級車感はない。これはなぜかと調べたら、エリザベス女王が理由だった。

ランドローバー社のランドローバー(写真)はアメリカのジープをまねてオフロードを走れる車として作られた。1948年に発売され、エリザベス王女の父親であるジョージ6世に寄贈された。ジョージ6世が崩御した1952年にエリザベス女王が即位した。このときランドローバーも彼女の所有になった。この車を女王が気に入って乗り回している写真がたびたび紹介されたので、ランドローバーは無骨なオフロード車ではあるもののセレブが乗ってよい車と認識されたのだった。

その後、ランドローバー社は本格的に高級車志向へ舵を切り、「レンジローバー」を1970年に発売した。その流れが今に至る。

トヨタがランドクルーザーを完成させたのは1951年で、アメリカのジープそっくりのデザインで名前もトヨタ・ジープBJ型だった。のちにアメリカのウイルス社から商標問題を言われて名前をランドクルーザーに変えた。ランドクルーザーも1970年頃にはずいぶん洗練されたデザインになったものの、オフロード車という立ち位置は変わってなかった。今もそれは変わらない。

スズキのジムニーは1970年に発売されて以来デザインはほぼ同じだ。乗用車として乗る人もいるが、純粋にオフロード車だ。

あの手のオフロード車がセレブに好まれる理由は、オフロードが走れるからではない。車体が高いので乗り込むときにひどくかがみこまなくて済む点と、車内が広い点が好まれている。その点は私もわからなくもない。

オフロードを走る性能はなくなっているが外見だけを似せたSUVという車種もある。これが好まれる理由も上記と同じく背が高く車内が広いからだ。これもわからなくもないのだが、SUVに乗るのは陸サーファーみたいでひどくカッコ悪い。レンジローバーもいくらセレブ向けにいろいろ装備したとしても、元はオフロード車なのだからオフロードで乗らないとカッコ悪い。そもそもエリザベス女王は田舎道を走るためにランドローバーを運転していたのだ。

2025年6月26日木曜日

レベルの低い人間ほど無謬性を重視する

頭の悪い奴は、他人の発言や発信の細かい間違いを指摘してドヤ顔をしがちだ。頭の良い人は意味が通っているなら他人の間違いを気にしない。日本人は無謬性を重視する人間が多いのが目につく。日本人は頭の悪い人間が多いから無謬性を重視するのだろう。日経新聞に無謬性の解説が載っていて、うまく定義できていると思ったので、リンクと引用を貼っておく。無謬性を重視するようでは物事がうまく運ばないのは当然だ。

---日経新聞電子版の引用(上記リンク参照)---
日本の政府や大企業の官僚組織でほとんど無意識のうちに前提とされているのが、「無謬(むびゅう)性の原則」である。「ある政策を成功させる責任を負った当事者の組織は、その政策が失敗したときのことを考えたり議論したりしてはいけない」という信念だ。

2025年6月22日日曜日

もうじき若者が選挙に行っても無駄になる

2024年の日本の数値
全有権者数 10418万人
うち65歳以上 3625万人
うち60歳以上 4059万人
うち50歳以上 5091万人

今日は都議会議員選挙だった。公約を読むと、高齢者優先を掲げる候補者と若者優先を掲げる候補者がいた。65歳未満の人がみんな若者優先の候補者に投票するなら勝てる。しかしもうじき65歳になる人は高齢者優先の候補者に投票するかもしれない。その境目が仮に50歳だとすると高齢者と若者はすでに互角だ。時が経つにつれ若者の数の不利は増す。あと10年もすると若者が全員選挙に行っても高齢者には勝てなくなる。

プラトンとアリストテレスは一人一票の選挙制度は社会がまずいことになると警告していた。彼らの予想通り、一人一票の選挙制度は社会を破滅させることがわかってきた。投票資格試験を設けて、その人の知性が一定水準以上でないと投票できないようにしないと、未来はディストピアと化す。

2025年6月21日土曜日

当たり前と思っていることを疑えるかどうかが頭がよいかどうかの境目

歴史上の優秀な科学者や軍人は、それまで当たり前と思われていたことを疑い、もっとよいことを思いついた点が共通している。この優秀な人の特徴は現在でもそのまま通用する。健康に関することでも当たり前のことを疑うことが健康に生きるためには役立つ。日常生活でも当たり前のことを疑うことで、家事が楽になったり、お金が増えたりする。

今年の秋にwindows 10のサポート期限が切れることで騒いでいる愚かな連中が多い。彼らの当たり前は事実だろうか。
  1. サポート期限が切れるのは本当によくないことか
  2. 本当にwindowsを使い続けなくてはならないのか
どちらも間違っている。

サポート期限が切れているかどうかでクライアントPCのマルウェアに対する脆弱性は変わらない。クライアントPCがマルウェアに感染する主原因はユーザーのうっかり動作だ。クライアントPCでのうっかり動作は最新のOSだろうがセキュリティパッチをあてていようが、ユーザーが注意しないと防げない。だからOSを最新化してもセキュリティ的にはほぼ意味はない。これに気づいている人はOSのソースコードを読んで脆弱性の理由を理解している本物の専門家だけだ。通信を受けるサーバーでない限り、OSの脆弱性はほぼ問題にならない。

windowsはOSの選択肢のひとつでしかない。不便だとか危険だとか思ったら使うのをやめればよいだけのことだ。それができないと騒ぐ連中の中には「会社で使っているから」と言い訳をする者もいる。それは間違っている。社則に「社員はwindowsを使うこと」なんて定めている会社なんてない。管理システムの都合でwindowsでないと集中管理できない場合はあるかもしれないが、その場合でも情シスの管理者にお願いすればlinuxやmacにも対応した管理システムに更改してくれる可能性はある。実際にうちの会社はそうなった。その結果、windows PCは数では少数派になった。

windowsは労働生産性を落とす原因となっている。世界のGDPを1%くらい押し下げているのではないだろうか。これをきちんと数値で示せたら、どんな経営者もlinuxかmacに変えろと号令をかけるはずだ。

PCやソフトウェアを売らないといけない業界の人は、間違っていると思っていてもwindows 10のサポート切れを騒ぎ立てた方が儲かるのでそうしている場合があるだろう。それは仕方ない。証券会社や銀行につとめている人がリスクの割に儲からない商品をよくないと知りつつ顧客に勧めるのが仕方ないのと同じだ。

2025年6月18日水曜日

めずらしくネット通販ではなく実店舗で冷蔵庫を買う

冷蔵庫が壊れたので新しいのを物色していた。いつものように価格ドットコムの最安値店で買うつもりだったが、今回は近所の電気店で買った。家電を実店舗で買うのは20年ぶりだ。ネットでは東京ゼロエミポイントの手続きが煩雑だったからだ。

東京ゼロエミポイントの手続きは申込書と身分証明書と買い替え予定の古い家電の写真を購入者側で用意する必要がある。ネット通販ではこれらを添付ファイルで送る。それを店側で確認してから購入手続きをして、さらに搬入日の選択のやり取りをする。やり取りが3往復になってしまい、ポチっと購入という訳にはいかない。実店舗なら身分証明書と古い家電の写真さえ持って行けば、その場で全ての手続きが完了する。店に入ってから手続きを終えて店を出るまで30分で済んだ。あとは約束した日の搬入を待つだけだ。これは楽だった。

ほとんどの家電はネット通販の方が安いが、今回の冷蔵庫は発売されてすぐなので値引きしておらず、電気店でもネット通販の最安店でも同じ価格だった。高いはずのパナソニックの公式オンラインストアでも同じ価格だったのはびっくりした。つまりどの店もほぼ定価で売っているのだ。こういう状況なら簡単に買える店、修理するときに頼れる店を選ぶ方がよい。

2025年6月14日土曜日

経済アナリストが予想を当てたようにみせかけるテクニックを披露

経済アナリストはバカではないので、自分の予想が当たらないことを承知している。しかし、それを正直に言ってしまうと彼の意見を聞いてくれる人がいなくなってしまい、失業する。経済アナリストの言を聞く人は、彼が未来を予想してくれることを期待しているのだ。

そこで予想が当たったようにみせかけるテクニックを先輩から学ぶ。基本は「上下を言うときは時期を言わないこと」「時期を言うときは上下を言わないこと」だ。この言い方だといつかは予想は当たる。

経済アナリストの本音は「上下とその時期がわかるんなら、それを利用して大儲けして優雅にくらしているよ。しがないサラリーマンなんかやってる訳ないでしょ」だ。

同じ予想テクニックを占い師やカルト宗教の教祖さまも使っている。

---以下は別の話題---

私の予想は他人に当たったと認めてもらう必要がない自分の実利のためだから、上下も時期も予想する。33年前に予想した「日本は没落して2050年に北斗の拳の社会になる」は、上下は当たっているが時期が外れた。2050年ではなく2035年には世紀末状態(ディストピア状態)になっていそうだ。時期が15年早まると今判断した理由を以下に述べよう。

1917年のロシア共産革命、1933年のナチス党の政権掌握、1949年の中国共産革命、2024年トランプ大統領2回めの当選などの政変に共通する点がみっつある。
  1. 支持者が困窮しているときにわかりやすいシンプルなスローガンを示した
  2. 国がディストピア化するきっかけとなった
  3. これらの政変は本格的に始めてから結果を出すまで10年以内で済んでいる
1.はこれまでも複数の研究者が指摘している。2.は当たり前の事実だ。私が今回気づいたのは3.だ。社会ががらっと変わるために要する時間は意外と短いのだ。

日本の歴史を眺めて似たような事例を探すと、2005年の小泉郵政改革とか2009年の民主党政権成立を思いつく。上記の1.のように国民をうまく煽っていた。日本の歴史上最大の煽りは昭和に朝日新聞などが行った国民を戦争に駆り立てたメディア操作だ。それは見事に成功して対米開戦を引き起こした。太平洋戦争を引き起こしたのは軍部ではない。国民の強い要求を聞き入れなくてはならない政府が起こしたとみるのが正確だ。国民の開戦要求を聞き入れないと政治家は選挙で当選できなかったからだ。

2025年からの日本のムーブメントは社会保障改革が始まることだ。このムーブメントの方向性は正しいのだが、途中経過が過激になりそうだ。そのために社会が荒れてディストピア状態に近づくだろう。

上述した3.の「政変は10年以内に結実する」性質から、2025年の今年から始まった日本のムーブメントは2035年には結果が出る。そのとき日本は世紀末化すると私は予想時期を2050年から2035年に変更したのだった。私が世紀末と言っているのは高齢者をどんどん殺す世の中になると言っているのではない。全くの逆だ。高齢者のために若者や子供が奴隷になる世の中をさしている。北斗の拳の中で「ひゃっほー」と叫びながら女子供を虐殺していたならず者になるのは高齢者であると予想しているのだ。2035年には高齢者の地位が不動のものになり、若者や心ある人々が絶望すると予想している。

2025年からトランプが主導している米国のムーブメントは1976年のポル・ポトの共産政権と似て知識人を攻撃しているのが興味深い。ポル・ポトは教師などの知識人を迫害した。ポル・ポトは毛沢東の文化大革命を真似たのだ。米国での知識人攻撃も過激な動きになって米国内で内乱・内戦が起きそうだ。頭の悪い連中のために米国も没落していく。ただし米国経済を牽引しいるMagnificent Sevenは世界企業なので没落するとは考えにくく、彼らはずっと存続していくだろう。

2025年6月13日金曜日

ひとりぼっちのリンに出てくる実用車を探すもブリヂストンのステップクルーズST60T2になる

32年前に買ったブリヂストンの実用車が壊れかかってきた。チェーンホイールとスプロケットの歯が摩耗して、チェーンは伸びてきた。それぞれ交換することはできるが、全部交換すると部品代だけで1万円以上かかる。その上、全体にガタが来ていて全力で漕ぐのにはもはや耐えられそうもない。そこで新しい自転車を買うことにした。欲しいスペックは
  1. 26インチか27インチホイール
  2. シングルギア
  3. チェーンはフルカバード
  4. 荷台付き
  5. センタースタンド
  6. 車重は20kg〜30kg
  7. ブレーキはワイヤー伝達ではなく、機械リンク式

ようするに「ひとりぼっちのリン」に出てくるような実用車だ。私は50年前にリンの乗っていたのと同じ実用車と、片倉の競技用ロードレーサーのシルク号に乗っていた。リンを真似て、こういう実用車でスポーツ車に乗っているあんちゃんをぶち抜くのが楽しみだった。時速40kmを出せた。もちろん片倉のロードレーサーに乗れば時速60km以上で走れたが、それで抜いては当たり前すぎてつまらない。

探すのに苦労したが、ブリヂストンのステップクルーズST60T2(以下の写真)がこのスペックを満たしていた(7番めのブレーキは除く)ので購入した。三角フレームでないのが強度的に心配だが、ボトムブラケット部の少し上に短い水平ビームがあるのでおそらく大丈夫だろう。ブレーキはワイヤー伝達で機械リンク式ではない。ブレーキ以外の違いはリムだ。50年前の実用車のリムは幅が広くて分厚くて段があって重かった。オートバイのホイールそっくりだった。車重は30kgを超えていた。それに比べたらステップクルーズのホイールはすごく軽い。車重が21kgと思えないくらい軽やかに走る。ギア比を変えたら、この自転車で時速50kmで走るのはそれほど難しくはないだろう。


2025年6月9日月曜日

バブル期の都内月極駐車料金の思い出

1993年に都内に引っ越してきて、車を止めようと月極駐車場を探した。露天の砂利敷きが月額4万2千円。屋根付き舗装が月額5万6千円だった。当時バブルは弾けはじめていたが、駐車料金はそれほど下がっていなかった。車を3台とオートバイを4台所有していたので、駐車駐輪料金だけで月額20万円だった。これはたまらんと全て手放した。

今も同じところに住んでいるが、今は屋根付き舗装の月極駐車場は2万5千円まで下がった。当時の半額以下だ。土地価格は当時2億円の30坪の土地が、今は1億4千万円なので30%値下がりしている。駐車場の値下がり幅の方が大きいのは、車を所有する人が減ったからだ。私もあのとき手放して以来車は買っていない。

2025年6月6日金曜日

やっと生き物の本分に気づいたか

40億年前に地球に生物が生まれた。生き物の生きる目的は子を産み育てて自分の種を未来へ続かせることだ。子を産む形で増えない細菌であっても同じだ。そのため、ほとんどの生き物は子供を大事にする。卵を産んだ後に死ぬ運命の昆虫や魚の親、卵を守って絶食し卵が孵ったあとに死ぬ運命の魚の親もいる。子供の方が大事なのだ。哺乳類の中ではかなり知能の高い象は年老いて自分が足手まといになるとこっそり群れから離れて死ぬ。群れの若者の迷惑になりたくないからだ。生き物は猿まではみんな子供が最優先だった。なぜホモサピエンスになってから、生殖能力のない老人を子供より大事にするようになったのか。自分の種を滅ぼしたいとはホモサピエンスとは面妖な生き物だ。

若者に生きる知恵を授ける長老なら大事にされてもよいだろう。しかしそのような知恵者の老人は、現在では老人100万人当たり一人いるかどうかだ。大事にするならそんな人だけでよい。

近頃は、一部の人から「老害を排除せよ」という意見が聞かれるようになった。彼らはやっと生き物の本分に気づいたようだ。