認知症は考えるのをサボった結果なのに、なぜかそれを認めない。老化が原因だとか運動がどうとか訳のわからん妄想をほざく連中が多かったが、最近の研究によりそれらの妄想を否定する結果がどんどん出てきている。運動をしてもしなくても、認知症になるかどうかについては有意差はなかった。認知症になるかどうかに影響したのは知的活動をしたかどうかだけだった。運動をすると認知症の予防になるという研究結果が過去に出ていた理由は、その運動をするときに同時に頭を使っていたからだった。頭を多く使う社交ダンスや水泳は認知症予防効果が高く、頭を使わないウォーキングは認知症予防効果が低い。身体が不自由で全く運動できなくても、知的活動をする人は認知症になりにくい。運動そのものは認知症とは関係なく、知的活動をするかどうかが認知症に関係する。脳内の老廃物をうまく分解・廃棄できるかについても、知的活動をするかどうかが大きく影響するという研究結果もでている。認知症になるかどうかは、考えるかどうかが最も影響するという当たり前の事実がやっと明らかになった。
「認知症になるのはおまえが何も考えてこなかったからだろ」と「太っているのはおまえが食い過ぎて運動してないからだろ」が同じことだとなぜわからない。裸の王様に忖度しているのか。この当たり前のことを認められない連中は、考えない怠け者ゆえに自分は認知症になるという事実を認めたくないのだろう。年齢や運動のせいにして、自分がバカであることを認めないのだ。人間として恥ずかしいし、情けない。自分の欠点を認められないから、そこから脱することもできない。
年齢を重ねるほど、失敗を多く経験して賢くなるのが人間の本来の姿だ。ところがその本来の姿を保っている高齢者のなんと少ないことか。そんな賢い高齢者は現在では100万人に一人いるかどうか。生殖能力もなく愚かで若者に迷惑をかける高齢者は、ひとりで墓場へ行って死んでほしい。それを行う象を見習ったらどうか。そのような立派な象を立派だと理解できる知性すら彼らにはないのがもうどうしようもないと言える。バカに限って子供や赤ん坊を犠牲にしてまで自分だけ生き延びようとする。醜い、見苦しい、恥ずかしい。
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