最近の医学研究により、遺伝子は脳の配線アルゴリズムを保持していること、そのアルゴリズムは階層を持つこと、アルゴリズムは脳の活動により動的に変わること、などが明らかになってきた。これらにより、脳のネットワークの設計図が遺伝子に保持できるサイズに圧縮可能なことがわかってきた。
脳は生まれた後も変化する。ニューロンの生成や消滅の頻度は少ないが、シナプスの生成と消滅の頻度は多い。シナプスの変化は赤ん坊の頃が最も多いが、成人になっても死ぬまで変化し続ける。シナプス接続の有無だけでなく、シナプスの情報伝達効率も死ぬまで変化し続ける。そのために学ぶ意思さえあれば、脳の初期状態はどうであれ誰でもそれなりに賢くなれると私は信じていた。初期状態より後天的プロセスの方が影響が大きいと信じていた。ところが脳のネットワークの設計図の大部分が遺伝子に保持できているという事実を知って、私の考えは間違っているのではないかと思い直した。つまり、脳の性能限界は遺伝子である程度は決まってしまうのではないか。それを示す実例はあまりに多い。いくら努力をしてもよい考えを思いつけない人はいる。逆にほとんど努力をしないのに、きらめくようなアイディアを次々に思いつく人もいる。身体の運動能力と同じで、脳の能力も遺伝子でかなりの部分が決まってしまうのだ。
もちろん、後天的な努力で運動能力も脳の能力も向上することは間違いない。しかし、遺伝子でその向上の限界は定められているのだ。なんと残酷なことか。これは私には衝撃的な事実だった。頭の悪い連中は本人が学びをサボった結果の自業自得だと思い込んでいたが、その中の一部の人間は生まれつきのバカ、死ななきゃ治らないバカだったのだ。そのバカが選挙権を行使してトランプのような愚かな独裁者を選ぶのは生物学上責められないことだとしたら、もはやホモサピエンスもサルもラットも区別する必要はないと思う。すごく賢い存在から見たら、これらの種は哺乳類でひとくくりにすれば十分だろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿