2024年8月20日火曜日

異世界ものが流行るのは若者が閉塞感を感じているからだろう、仮想戦記も

20世紀のライトノベル(そういう言葉はあとからできたが)は仮想戦記が流行っていた。21世紀は異世界ものが流行っている。どちらも現実の社会はどうしようもできないから、せめて物語の中では思い通りに生きたいという人々の思いを反映している。気持ちはわかるが、あまりに現実世界からの逃避が過ぎると阿片依存みたいになるので心配である。

異世界ものも仮想戦記も読むに耐える作品は千に一つしかなく駄作だらけだ。これなら生成AIでも書けるかもしれない。

最初の頃の仮想戦記は未来からやってきた人が未来技術や未来情報を使って戦争を勝利に導くパターンが多かった。ところがそれではあまりにご都合主義すぎるので、そんな話はすぐに飽きられた。未だにそういうのを書いている二流作家もいる。ある程度の需要は途切れずいまでもあるからだろう。

佐藤大輔氏の征途(1993-1994)が最初だったと思うが、無能な司令官が死んだおかげで戦闘に勝つというパターンの仮想戦記が生まれた。これを最初に読んだときは思わず膝を叩いたものだ。未来兵器なんて必要ない。バカさえいなければ勝てるのだ。何かのことわざにもあった。「有能な敵よりも無能な味方の方が脅威となる」。まさにその通りだ。第二次大戦のアフリカ戦線でイタリア軍があまりに無能で戦闘の邪魔になり、ドイツ兵に「こいつらが敵だった方がずっと良かった」と言わしめたのは有名だ。現在の日本の組織でもこいつさえいなければという状況はたくさんあるだろう。

第二次大戦中に限らず、日本に限らず、歴史の中では「このバカさえいなければ」という状況は山ほどあった。そして日本は特にその状況が多い。日本にはバカをバカと指摘できない文化があるのでそうなってしまう。100円ショップの買い物は失敗してもよいのでバカにやらせておいてよいが、バカにやらせたせいで何万人も死んだ例(インパール作戦が有名)はたくさんあるので、バカを放置することは犯罪である。花咲じいさんでも銀の斧金の斧の童話でも正直であることは美徳とされているのに、なぜ日本人はバカを正直にバカと指摘しないのか理解しかねる。それで死んだらまさにバカみたいだろうに。

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