2023年11月11日土曜日

宗教別の難易度がある

釈迦にせよ、イエスにせよ、ムハンマドにせよ、彼らがそれぞれの宗教を作ったのは合理的な理由があり、その目的は純粋なものだった。それぞれの生きていた時代に行けて、彼らと話すことができたら、宗教の趣旨について語りあい大いに盛り上がることができたと思う。

ところがキリスト教はローマ帝国のころから権力者の都合のよい道具として使われるようになって堕落した。イエスが生きていたらひどく嘆いていただろう。仏教はそれほど政治の道具にはなっていないが、大衆に迎合して修行を省略しても可となって堕落してしまった。釈迦に聞いたら「それだとあまり意味ないから」「別に強制するつもりはないけど(悟れる人だけ悟ればよい)」と言うだろう。イスラム教の教えは持続可能な社会を作るためである。特に経済活動に関する決まりごとは経済学を深く学んだ人ならその合理性に感心するだろう。他にも公衆衛生のためや、社会秩序を守るための決まりごとなどがあり、SDGsを実現したいならイスラム教を参考にしたい。もっともメッカの方向を定期的に拝むことには意味はないが。役立っていたイスラム教の決まりごとも今は無意味になったものがあり、それを盲目的に守るのはムハンマドに聞いても「趣旨を理解していない」と言うだろう。豚肉を食べないのは食中毒の危険性が高かった昔の話だし、酒を飲んではいけないのは砂漠で酒を飲んだら脱水症状になるからと、泥酔すると周りに迷惑をかけるからだ。エアコンの効いた部屋でひとりで酒を飲むならムハンマドは「それは別にかまわない」と言うだろう。

宗教を作った本人の主張は合理的なのだが、その弟子とか後の時代の研究者が余計な考えを加えて宗教をおかしくしてしまっている。そういう意味では原理主義というのが望ましいのだが、キリスト教原理主義者やイスラム教原理主義者は形式的な決まり事だけを重んじ本来の趣旨を却って軽視しているので、本末転倒となっている。仏教の原理主義はかつて小乗仏教と呼ばれていたが、これは厳しい修行をするだけだから特に問題はなく、正しい原理主義の形と言える。

表題の宗教の難易度だが、それぞれの宗教を完全につまり作った本人と同じレベルまで体得するまでの難しさに違いがある。いちばん難しいのは仏教で、イスラム教、キリスト教と続く。

あまり適切な例えではないが、難易度を物理学に例えると

仏教:一般相対性理論+量子力学
イスラム教:ギリシャ時代の諸々の発見
キリスト教:石器時代の石の道具の作り方

となる。仏教を身に着けるのはそうとうに難しい。悟ることができる人が何万人に一人しかいないのは当然だ。キリスト教はひどく簡単だが、別にキリスト教が低レベルと言っている訳ではない。イエスの提唱した生き方を目指すのはとても素晴らしいことだ。ただし、キリスト教徒でそれを実行できている人はほとんどいないのも事実だ。学問でも宗教でも真剣にやらないと身につかないし、意味がない。形式だけ学ぶと却って害になる。

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