肌の色や性別で参政権を制限するのが間違っているのは当たり前だ。頭の悪い人間に参政権を与えるのが間違っているのも歴史上は当たり前だったのだが、現在は頭の悪い人間にも参政権を与えてしまっている。
古代ギリシャでも、近代の英国でも、全員に参政権与えたら頭の悪い奴も含まれるので社会に良くないよねというのは理解されていた。じゃあ誰に参政権を与えるかの問題は難しかった。頭の良し悪しを判定するのが難しいからだ。しかたなくお金持ちに参政権を与えるという手法が多用されたが、お金持ち=頭が良いではないことはすぐにばれたのでこの手法が廃れるのも時間の問題だった。参政権を得るための試験をすればよいのだが、コストのせいか、頭の悪い連中が妨害したせいか、試験で参政権を決めるという手法はこれまで採用されていない。中国の科挙制度というのは使いようによってはよい結果を生んだかもしれないが、試験が暗記物で頭の良し悪しとは関係ないせいか全くうまくいかなかった。世界の歴史はめぐりめぐって何も考えなくてよい安易な方法へ流れて、民主主義では大人は全員参政権を持つという状態に至った。
現在は
government of fools, by fools, for fools, shall not perish from the earth.
(どっかのおっさんの演説)
状態だ。
この状態を打開するためには方法はふたつある。頭の悪い人間に参政権を与えるのが良くないのだから、方法は自明だ。
- みんなの頭を良くすればよい。そのためには教育を良くすればよい。北欧ではこの方法でうまく行っている。
- 参政権を定期的な試験で決める。
1.の方法が正当だが、北欧の歴史を見ると効果が現れるのに30年かかっている。そんなに待てないのであれば、当面は2.でしのいで、1.も並行して行うのが良いと思う。ただし、高齢者の頭を良いままに保つのはひどく難しいので、2.の試験は永続的に続けた方が社会のためには良いだろう。
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