数学への信仰がどうやら間違っていると気付いたのは経済学の論文に複雑な数式が出始めたときだ。それまでの経済学では算数程度の数式しか出てこなかったのに、あるとき複雑な(とは言っても微分方程式程度だが)式が出始めた。その時もてはやされて以来、今では数式が載ってない論文を探す方が難しい。数式を載せると論文作成が簡単になる。数式の導出や証明が正しければ、論文全体では間違ったことを主張していても査読に通ってしまう。
数式による経済の把握が役に立たないことを証明したのがノーベル経済学賞(経済学賞は本当はノーベル賞ではないことは知っているが)を受賞したブラックショールズ方程式だ。それを導出した連中がファンドを作って破綻した1998年のLTCM破綻事件では、欧米の多くの大銀行が窮地に陥った。LTCMファンドの運用はアービトラージで行っており、リスク計算に数式を使ってはいたが、ブラックショールズ方程式を直接使っていた訳ではない。だからLTCM破綻が起きたからブラックショールズ方程式はクズ式であるという短絡的な主張はできないのだが、私がそう主張しているととられてもかまわない。
ブラックショールズ方程式はオプション価格を計算できると主張している式だ。計算に必要なパラメータには行使価格とか原資産価格とか残存期間とか金利とかいろいろあるのだが、それらは実際あるのだからそこから持ってくればよい。計算に必要なパラメータでどこからも持ってこれないものにIV(インプライドボラティリティ)がある。IVは適当に仮定するとか、ヒストリカルボラティリティで代替するしかない。で実際のブラックショールズ方程式の計算ではどうしているかというと、市場でオプション価格が決まってから方程式の逆計算でIVを計算している。ここであれ?どっちが先なのと思った人は正常である。付け加えると、市場ではオプション価格が何で決まるのかと言うと、マーケット参加者がどれくらいビビって(恐怖して)オプション価格をつりあげたかで決まることは昔から変わらない事実として存在している。
ブラックショールズ方程式をまとめると、方程式でオプション価格を計算したいのだがそのためにはIVが分からないと計算できない。IVを計算する方法はないので、実際のオプション価格が決まってから方程式の逆計算でIVを決めるということだ。ちょっと待て。それってオプション価格を計算するのにオプション価格が必要だと言っているんだぞ。誰もおかしいと思わないのか?ブラックショールズ方程式を多少弁護すると、マーケット参加者のビビり加減がIVという数値で扱える道を拓いたとは言える。IVが25を超えているからみんなビビっているという簡単な判断はできる。しかしそれだけ。IVは行使価格でまちまちなのだ。結局、全ての行使価格でのオプション価格をそのまま観測した方が相場全体をつかめる。
私はずっと相場に身を置いてきたので、数式で相場は表せないのは体感的に分かっていた。私に限らずトレーダーはみんな分かっているだろう。相場はマーケット参加者全員、それに加えて経済活動に関わる人の全員(これは地球に住む人全員のことだ)の心理で決まる。ただそれだけだが、これを数行で書ける方程式で解こうなど傲慢も甚だしい。
数学で「何とか分布」というのがよく使われる。中高生なら偏差値を計算する基になる正規分布に親しいだろう。「何とか分布」を持ち出す動機は、「分布を構成する全ての値を頭に入れるのは難しいけど、分布を代表するパラメータなら数個で済むから頭に入る。そのパラメータで全体を議論すれば考えることが少なくて済む」と言うものだ。この考え方は数学の本質を表していて、そもそも数学は「余計なものをそぎ落として、残ったものが本質である。本質は数式で記述できることが多いので考えることが少なくて済む。」という考えに近い。この怠惰な考え方がそもそも間違っている。そぎ落としている余計なものは、まったく余計なものではなく、それこそが物事の本質だということに気付けていない。何かを考えるには全ての要素を何もそぎ落とすことなくそのまま扱うのが本筋なのだ。
これを分かりやすく示している例が平均年収の違和感。日本の労働者の平均年収は533万円なのだそうだが、多くの人が「そんなにもらってたら俺や周りの人の生活はもっと楽になっている。普通の人がそんなにもらっているはずがない。」と感じる。これが分布を持ち出して、その分布を平均とか標準偏差とかの少ない数値(パラメータ)で議論しては物事の本質を見失うという好例だ。労働者の年収を議論するなら、労働者の全員の年収をひとりひとり書き出して、それを見て議論しなくては正しく現実をとらえることはできない。数学を使ってサボってはダメなのだ。
あと数学でよく使われる「双対性」もほぼインチキ宗教。一見違うものが実は同一視できるときに使われる言葉だ。いや、それは一見違うのだからそもそも違うだろと突っ込みたい。同一視できる理由を聞くと、同じ計算ルールが当てはまるからだと言う。双対性を持ち出すのも考えることを減らすためだ。二つの違うものは本当はそれぞれ違うものとして考えなくてはならないのに、双対性を持ち出せば同じ考え方ひとつで済む。そういうサボリぐせが将来道を踏み外す罠になる。その二つが同じことの方より、二つが違うことの方が本質かもしれないとなぜ思わないのか。
結局数学が道具として役に立つのは、月へロケットを送るときにどれくらいの勢いでどっちへ放り出せばよいかとか、GPS衛星の時計を共用するためにはどれだけ補正すればよいかとかくらいで、我々の生活のほんの一部にしか役に立ってない。エアコンの自動温度調整だって、誰もに通用する方法はいまだになくて、暑く感じるときはその人が温度設定を下げて、寒く感じるときは逆をするより賢い方法がない。暑く感じるか寒く感じるかは人それぞれ、同じ人でも体調によって変わるからだ。
私は子供のときから算数がずっと面白いと感じて、算数が嫌いな子供のことが不思議だったが、実は算数が嫌いな子供こそ数学の本質を早くから見抜いていた賢人だったと今になって分かった。数学で何かを語る連中を信じてはいけない。彼らは詐欺師か本物のバカだ。
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