これまで釈迦に対して厳しいことを言ってきた。彼は何も悪いところはないけれど、無垢な子供も救ってほしかったと思うからだ。ところで、私の過去のブログを読み返してみると、「愚かな人は不幸になっても自業自得だ」という論調ばかりだ。これは釈迦の「覚りをひらける人は涅槃に来なさい(そうでない人は知らんよ)」というのと結局同じことを言っていると気づいた。違うのは赤ちゃんに対してだけで、釈迦は赤ちゃんが不幸な目にあって死んでも来世以降で救われる機会があると主張しているのに対し、私は赤ちゃんはなにがなんでも救わなければならないと主張している。しかし、私は赤ちゃんを救う方法を具体的に示していない。地球温暖化を防止せよとか経済格差を縮めろとかアバウトなことを言っているだけで、後は赤ちゃんを拝めと論理的ではないことを主張しているだけだ。これでは釈迦をどうこう言えるほどの資格が私にあるのかというとそれは疑問と言わざるをえない。釈迦には申し訳ないことをした。名誉棄損だ。スンマセン。しかし、子供を救う手段を考え続けろというのは間違っていないと思う。考え続ければ、もしかしたら釈迦より良いことを思いつくかもしれない。赤ちゃん教はけっこういい線行っていると今のところ自負しているのだが、まだ思いついて1週間なので修正すべき点はたくさんあると思う。みんなが信じるためには赤ちゃんを拝んで大事にするとなぜよいのかを論理的に説明する筋道を見つける必要がある。
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