2020年12月16日水曜日

新型コロナウィルスは培養して増やしたら?

父親と義父の認知症が進んだ。日常の暮らしに必要な基本動作ができず、誰かの助けを借りないと生きていけない。そのくせ不満や、他人を傷付けることは言える。何かを楽しんでいる風には全く見えない。この状態で生きていて意味があるのだろうか。こういう老人が生きている限り、家族や医療関係者はずっと迷惑を受け続けないといけないのか。こういう老人に年金や医療費で多額の国家予算を使うので、若い人が本来受けるべき教育やサービスの質が低下しているのではないか。

出生率を上げることで若者を増やし、相対的に若者の負担を減らそうとする政策が先進国で進められている。しかし一番成功しているフランスでも出生率は2.0を超えていない。若者は減る一方だ。万が一うまく行ったとしても待ち受けているのは地球の食料不足だ。地球上の耕地を全部使っても120億人分の食料しか作れない。人口が増え続けたら食料不足になる。出生率が上がろうが下がろうが、いずれにしても待ち受けているのは暗い未来だ。

小手先の対策を小出しにしながら、なるようにしかならないと諦めて過ごすしかないのか。誰かが悪者になるのを覚悟して果敢な策を取ってくれないだろうかと夢想したりもした。そんなときにやってきたのが新型コロナウィルスだ。年の若い人ほど攻撃を受けない。良心的すぎる。神様が作ったのではないかと疑いたくもなる。今や毒性が低くなって風邪並みの存在になってしまったが、若い人を攻撃しないという性質は消えていない。コロナのおかげかどうかは不明だがインフルエンザの感染者数が激減しているそうだ。単にみんなが手を洗うようになったからかもしれないが、コロナのおかげならすごいことだ。インフルの死者数と一緒に数えるとコロナ下の方が死者数が少ない勘定になる。しかも子供は殺さない。新型コロナウィルスは、防止するより培養して増やした方がいいんじゃないかと思えるくらいだ。その方が未来も含めて幸せになる人の総数が多いような気がする。ウィルスに対して培養という言葉は適切ではないかもしれないが、意味は通じるだろう。

年を取っても立派な人はいる。周りの人の役に立っている。深い経験に基づく知恵を教えてくれる。しかし、そういう立派な老人に限って、若い人の身代わりにとすすんで犠牲になったりする。なぜこんなに不合理なのだろうと思う。

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