2020年12月17日木曜日

大学の数学の授業が異常に難しい

大学時代のことを思い出していて、楽しいことの次によく覚えているのが数学の授業の難しさだ。受講して2週目くらいで分からなくなり始め、それからどんどん分からなくなって、最後はまったくついていけなくなった。これは私だけでなく同級生もたいていそうで、みんな高校までは数学が得意だった連中ばかりなのに、この分からなさ加減は何事だろうかと思った。結局期末試験では半数以上が不合格となり、追試で事前に問題が提示されるという究極の救済策により、なんとか合格して単位をもらった。数学が分からなくて嫌いとはこういうことかと中学時代や高校時代の同級生の言葉の意味がやっと分かった。彼らは「分からない」ということと「何の役に立つか分からない」ということを言っていた。長く生きてみて、面倒な数学はほとんどの人の場合何の役にも立たないことは分かってきた。中高時代の同級生は内容が分からないという情報不足の状況でありながら「数学はおそらく役に立たない」という正確な結論を導き出していたのだ。この推論力こそすばらしい。こんなことを言い出す子供はほめてやりたいところだが、あまりほめるとますます数学の勉強をしなくなるだろうからやめておこう。もし何か言うチャンスがあれば、確率と統計は大人になったときほぼ全員に役に立つのでそれだけ集中的に勉強すべきだとアドバイスしたい。確率を知っていれば、宝くじやギャンブルや生命保険で損を選ぶことがなくなる。統計を知っていれば、コロナの感染者数とか死者数とかの統計データをどのように解釈してどう判断すべきが分かる。この2つは知っておくとお得だ。

大学の授業の内容がやっと分かったのは修了後10年以上経った後で、長沼伸一郎氏の「物理数学の直感的方法」を読んだときだった。この本がベストセラーになったことから、私の大学だけでなく他の大学でもみんな数学の授業についていけなかったのだろうということが分かった。最初から長沼氏のように教えてくれればたくさんの人が分かっただろうに、なぜそれをしないのか。もしかして、難しく教えてもそれについて来れる優秀者を選抜して、その優秀者に何かを授けようとかいう遠大な計画でもあるのか。しかし、そのような計画の手がかりの欠片も歴史に現れていないので、そんな計画があると妄想するのは誤りだろう。結局、もっともありそうな理由は「単に数学の先生の教え方が下手だから」だ。なんてこったい。これこそアッチョンブリケだ。

今の数学教授は長沼氏の著書を読めた世代だから、それを参考に分かりやすい授業をしていることを期待したい。そうでないと、数学は難しいという数学にとっては不当な評価が覆ることはないだろう。

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