2020年12月15日火曜日

スバル360の思い出

日本機械学会誌の最新号(12月号)に機械遺産の特集が載っていた。その中に神奈川工科大学の佐藤智明教授の記事があった。「憧れのスバル360」という記事だ。スバル360も機械遺産に登録されている名車だ。私が初めて運転した車はスバル360だった。1958年発売1970年販売終了のスバル360を運転したというならお前の年齢と合わないだろというツッコミを受けそうだが、実はそのとき私は小学生だった。じゃあ、無免許運転じゃないかと叱られそうだが、運転していた場所は飛行場の滑走路と誘導路なので違法ではないと思う。よしんば違法でも、もう時効だから勘弁してほしい。当時の国内線にジェット旅客機はほぼなく、たいていプロペラ機だったので飛行場の滑走路は短く、都市の市内(つまり住宅のそば)に普通に飛行場があったのだ。今でもそのときの場所のままなのは、東京の羽田空港と福岡の板付空港だけだ。あとの空港はジェット化と共にみんな郊外の不便な場所へ引っ越して行ってしまった。

スバル360を運転していて不思議に思ったのは「この車にはなぜ水を入れる必要がないのだろう?」「ガソリンの他にオイルを補給するのはなぜだろう?」だ。小学生の私は水冷エンジンと空冷エンジンの区別、2サイクルエンジンと4サイクルエンジンの区別など分からなかったのだ。しかし、エンジンには水が入っているラジエターが付いているものだというくらいの知識はあった。それはどこから得た知識かというと、戦記物からだ。最強戦闘機のP-51マスタングの胴体の下の出っ張りがラジエターだということは知っていたのだ。そんな不思議を解くために勉強を続け、大学は動力機械専攻を選んだ。私がエンジンのことに詳しくなれたのはスバル360のおかげだ。もし、あの車が空冷2サイクルエンジンではなく、水冷4サイクルエンジンだったら、特に不思議には思わずエンジンへの興味は湧かなかったかもしれない。

大学の人は「動力機械専攻」という名前だと泥臭い感じがして入学者が減ると思ったらしく、今は「航空宇宙工学専攻」という名前に変えてしまった。宇宙とはちょっと盛り過ぎな感じがする。でも、おそらく授業の内容は変わってないと思う。砂型を固めて作って溶けた鋼を流し込んで鋳造したり、トンテンカントン金づちを振るって鍛造したり、鍛造したものを焼き入れ焼き戻ししたり、旋盤(天井からベルトで動力を供給するイギリス産業革命時のタイプだ)でアルミを削ったり、最大出力だけ各自別々に指定されて好きに(気筒数も圧縮比もボアもストロークも自由に)エンジンを設計しろという課題が出たり、楽しい経験ばかりだった。クランクシャフトの強度や材質には制約があり、ピストンの運動速度が速すぎると潤滑油が切れて焼き付いたりとかの制約などもあり、それらたくさんある制約を全てクリアできるように設計数値を変えながら何度も計算するので、計算自体は面倒で大変だった。しかし、うまく設計できたときの喜びはひとしおだった。課題はエンジン1基設計すれば良かったのだが、あんまり楽しかったので私はエンジン設計専用のコンピュータCADシステムを3か月かかって作って、そのCADで100基以上の色んなタイプのエンジンを設計した。当時(1982年)日産やトヨタはコンピュータCADを使っていなかったかもしれない。そうなら、彼らにCADを売りに行けば良かったかも。当時はそんなことは夢にも思わずろくに寝ないでエンジン設計に夢中になっていた。こんな楽しい経験をさせてくれたスバル360には感謝している。

未来は電気自動車ばかりになって、「エンジン?何それ?おいしいの?」なんてことになりそうだけど。

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