2020年12月10日木曜日

日本史上最も愚劣な役人は誰か

役人(給料を税金からもらっている連中)が愚劣で不正をいかに多く働くかは、世界中の誰もが知っている。その事実を文書にすれば百科事典くらいの厚さの本が1万冊でも足りないだろうし、どんな人でも役人のせいで不快な経験をしたことがあるだろうから、ここでいちいち例を挙げたりはしない。私も子供の頃からそれは本を読んで知っていたので、大人になっても死んでも役人にはなるまいと心に誓っていた。そんな愚劣な連中の中で一番許せないのが、第二次大戦の対米宣戦布告を1時間遅らせた外務省の役人だ。十分な余裕(1日間)を持って送られてきた宣戦布告文を真珠湾攻撃までに米国政府に渡せなかった理由が宴会をしていたからというのだ。この人のブログにその真相が書いてあるのだが、当該記事になぜか直接リンクが張れないので、全文を以下に引用する。

---引用ここから

アジア・太平洋戦争は、一般的に「1941年12月8日(日本時間。ハワイは7日朝でした)に真珠湾を奇襲したこと」が始まりだったといわれています。

 宣戦布告もしないでアメリカに攻撃した。

 だから日本に原爆を落とすことは正しいことだった。

 被爆者の方が聞いたら怒ると思いますが、これはアメリカでの歴史認識です。

 ところが、日本は宣戦布告をしたあとに真珠湾を攻撃する予定だったのです。

 日本大使館が12月7日午後1時(ワシントン時間)にハル国務長官に「宣戦布告」の文章を渡して、30分後に戦争を開始する計画になっていました。

 しかし、宣戦布告が手違いで遅れてしまったので、アメリカ側に「奇襲攻撃」の口実を与えてしまったのです。

 ではなぜ、こんな「末代までの恥」を日本が受けなければいけなかったのでしょう。

 ここから先を読みたい方は、相当の覚悟をしておいたほうが良いでしょう。

 特に沖縄戦や原爆、東京大空襲の被害者が身近にいる方は、怒りで血管を爆発させないように注意してください。 

 真珠湾攻撃前日(ワシントン時間の12月6日)、日本外務省はワシントンにある日本大使館に「宣戦布告」の文章を暗号にして送りました。

 この文章は14章に分かれ、「明日の午後1時にアメリカ側に渡せ」と書いてあったのです。

 暗号ですから、大使館員は解読してタイプライターで入力しなければいけない義務を負っていました。

 しかし、こんな大事な文章をほったらかしにして、大使館員は全員大使館を引き払ってしまったのです。 

 では、大使館員はこんな大事なときにいったい何をしていたのでしょう。

 当日は寺崎英成(昭和天皇独白録の著者)が転勤するので、送別会に出席していたのです。

 夜遅くまで送別会で飲み、食べ、彼らは楽しい一晩を過ごしたのだと思います。

 しかし、その「楽しい一晩」は、将来の日本に大きな打撃をもたらしてしまったのです。

 翌朝大使館員が出勤したとき、ドアに紙の束を見つけてしまいました。

 その紙の束こそが、前日のうちに解読しておかなければいけない「宣戦布告」の文章でした。

 あわてて大使館員を呼び出し、解読作業に取りかかってもらおうとしたのです。

 しかし、大使館員は前夜の飲み会で酔っていたので、とうていまともな作業が出来るはずもない状態でした。

 さらに午後1時が迫ったあせりから、文章をタイプするのが遅れてしまったのです。

 当然午後1時には間に合わない状態でした。

 ここで大使館員が電話などで宣戦布告をすれば、アメリカ側に「奇襲攻撃」と言われるようなことはなかったと思います。

 しかし、大使館員は学校の授業のような「答えのある問題」は出来ても、臨機応変性のない集団でした。

 ハル国務長官に、「1時間約束をのばしてほしい」と電話で頼んでしまったのです。

 結局宣戦布告の文章が届いたのが午後2時20分。

 真珠湾では日本軍の攻撃が始まり、アメリカ軍の戦艦が炎上して沈没していたのです。

 アメリカはこの出来事を口実に「リメンバー・パール・ハーバー」(真珠湾を忘れるな)を合い言葉に戦争に参加してしまったのです。

 現在でも、アメリカは日本に対して「だまし討ちをする卑怯な民族だ」という感情を持っている人がたくさんいます。

 では、日本にこんな汚名を着せるもとになった大使館員は、その後どうなったでしょう。

 これだけの大罪を犯したのですから、普通ならやめなければならないでしょう。

 しかし、彼らは真珠湾攻撃前夜のことを秘密にして、誰にも話しませんでした。

 そして、戦後外務省の最高ポストである事務次官などになった人もいるのです。

 中には天皇から「勲一等」(ちなみに東京大空襲と原爆投下の首謀者であるカーチス・ルメイがもらった勲章です)をもらった人までいるのです。

 ちなみに真珠湾攻撃で宣戦布告が遅れた理由については、他にもいろんな説があります。

 例えば、「日本は奇襲効果を高めるために、わざと宣戦布告を遅らせた」という説や、「送別会ではなく、葬式に出かけていて遅れた」という説もあります。

 また、当時の世界では宣戦布告は義務づけられていませんでした。

 現にアメリカも、今まで200回戦争した中で宣戦布告したのは5回程度でした。

 また、第2次世界大戦が始まったとき、ナチス・ドイツは宣戦布告を後になって行っています。

---引用ここまで

真珠湾攻撃が卑怯な奇襲攻撃だったせいで米国民を日本憎しで一致団結させてしまい、そのせいで余計に死ぬ羽目になった日本人の数は何十万人いや百万人を超えるかもしれない。宴会をしていた役人は、当然拷問の上死刑にすべきだが、何も罰を受けなかった。これを知ったときは、あまりのショックにあきれ果て、ヒトラーやスターリンや毛沢東まで、こいつらに比べればまだマシかもしれないと思ったものだ。だって彼らは自分が悪党であることを自覚している分、しらばっくれている役人よりはマシだと思った。

ちなみにヒトラーはユダヤ人を600万人、スターリンはユダヤ人とスラブ人を2400万人、毛沢東は中国人を3000万人虐殺しているので、まだマシというは本当は正しくはない。しかし、それくらいその役人のことを許せなく思った。

この重大事が歴史の教科書に書かれていないのはなぜか。日本の政府や軍部が宣戦布告を遅らせるような幼稚園児でもしないようなヘマをしたのはなぜだろうと戦記物が好きだった小学生の私は不思議に思っていた。当時(1960年代)はインターネットなどないし、図書館は小学校内のものしか知らなかった私には調べる方法もなかった。身近な大人に聞いても誰も知らなかった。なぜ今になっても秘密にしているのだろうか。このことを公にすれば、真子様が誰と結婚しようが、携帯電話の料金がいくら下がろうが、そんなことは些末なことに過ぎないとみんな分かろうというものなのに。自分たちが議論しなければならないこと、改革しなければならないことが他にいくらでもあることが分かるだろう。それはたいていとても単純なことだ。しかし、国の命運や人の命に関わる大切なことばかりなのだ。

こんなことを偉そうに書いているが、今習近平に虐殺されているウイグル族の人たちのことをほとんど話題にも問題にもしていない日本人(もちろん私もだ)も程度の差はあれ、役人同様愚劣な人間なのかもしれない。遠い未来にウイグル族がXX百万人殺されましたという記録が公になるだろうが、そのときになって憤るくらいなら、たった今なんとかすべきなのだ。

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