2020年10月26日月曜日

名君が続かない謎

 有志で政治形態について議論した。以下はその記録。

名君が君主ならば専制政治がもっとも効率的に国民を幸せにするのは間違いない。しかし民主政治が良いとされる理由は君主が必ず堕落するからだ。確かに歴史をひもとくと名君が二代続けて現れた例はない。名君の後何代か過ぎて再び名君が現れた例は数例あるが、極めて珍しく奇跡のような確率に過ぎない。やはり民主政治が無難なようだ。そこで疑問が出た、名君が、自らの後継者に名君たり得る優秀な人物をなぜ選ばないのかと。名君なのだから、人を見る目だって十二分にあるだろうになぜそれをしないのか。歴史をみるに、ほぼ100%の割合で自分の子や血族を後継者に選んで失敗している。これは謎だ。一同考え込んだ。名君と言えども自分の子に対する私情の方が国民を幸せにするという意思を上回るのだろうという意見が出た。それもありそうだが、何か他に理由がないのだろうか。

しばらくして面白い意見が出た。人の寿命がその理由ではないかと。ある人が名君たり得ると周りの人に認められるようになるには、ある人がある程度年齢を重ねている必要があるだろう。40歳とか50歳とかだ。今の名君がある人を名君たれると見出して後継者に指名するのはその後だ。しかし、人間の寿命は昔は60歳くらいだった。50歳で君主になった人は10年でまた交代しなくてはならない。10年で先代の意思を引き継ぎ、後継者を選ぶという仕事をしなくてはならないとしたら、それはあまりに忙しいし、効率性に欠ける。そこで、できれば後継者は若い人を選んでおきたいと思うようになる。しかし、若い人が将来名君になりうるかどうかはなかなか判断しずらい。確実にわからないのなら、自分の子を指名しておこうとなるのではないか。これならば、合理的な理由に成り得る。

現在をみても過去をみても、民主政治は衆愚政治になりがちとは思うが、それでも専制政治よりは確率的にマシというのが分かったような気がした。

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