「自らの知を深めるためには、目の前にある一つ一つの事物の本質を深く究めなければならない」――。この言葉は単なる科学者の処世訓ではなく、人間がいかに生きるべきかを説いたものである。乱暴に具体化すると「物理学と数学を深く理解しなければ清く正しく生きることはかなわない」だ。何かを決断する際、我々は自然や社会を貫く「理(ことわり)」の本質を理解した上で判断を下さねばならない。しかし、現代においてそれは至難の業だ。科学者でさえ、自らの専門外の理を解せぬ場合が多い。ましてや一般の市民が、複雑な現代社会において「格物致知」を実践することは困難と言わざるを得ない。
理を軽視する大衆の投票によって選ばれた政治家が良い政治をできるはずもない。皮肉なことに、無作為なクジによって政治家を選出する方がまだマシな結果をもたらすという実例さえある。ある国の自治体で議員を市民からクジ引きで選んだところ、選挙するよりも良好な結果を得たという報告がある。これが理を失った大衆によって左右される現代政治の紛れもない現実である。
民主主義の崩壊は、構造的に予見されていたことだ。経済を筆頭に社会の仕組みは加速度的に複雑化している。民主主義が成立するための大前提は、「投票権を持つ人間の知性が、社会の複雑化に追いつくスピードで向上し続けること」であった。しかし残念ながら、人間の生物学的な知性は1万年前と比較しても大した進歩を遂げていない。前提条件が崩壊している以上、民主主義が機能不全に陥るのは自明である。
社会保障制度の破綻もまた、最初から約束されていた。この制度は「人口が無限に増え続ける」という非現実的な前提に依存している。国土という物理的な制約がある以上、人口増がいつか限界を迎えることは自明であったはずだ。理に基づけば、この制度が崩壊するのは数学的な必然である。これは民主主義の崩壊という抽象的な問題よりも、はるかに簡明な真実であろう。
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