「パンと見せ物」(ラテン語: panem et circenses)を嘆いたユウェナリス(Juvenal)はローマ市民が食糧(パン)と娯楽(見世物)だけを求め、政治的関心や市民としての義務を放棄している状況を批判した。西暦100年頃の話だ。
私はこのときローマ市民が失業していたのは知っていたし、連中が反乱を起こすのを防ぐためにパンと見せ物を提供したのはわかっていたのだが、それが原因で財政的に困窮し国が傾いたのだから、途中でパンと見せ物の提供をやめればよかったのになぜそうしなかったのかと思っていた。調べると、連中に選挙権があったためパンと見せ物を提供しないと自分が当選できないという政治家側の理由があったことがわかった。バラマキをしないと当選できないというのは2000年経っても変わっていない。
これに関しては解決方法がある。物事を考えない連中には選挙権を与えなければよい。選挙権を持つにはそれなりの試験に毎年合格しなければならないと決めるだけでよい。
以下はPerplexityに聞いたパンと見せ物の顛末だ。
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1. 無産市民の増加
ローマ共和制末期から帝政時代にかけて、属州からの安価な穀物の輸入や戦争による中小農民の没落が進み、多くの市民が職を失い無産市民(プロレタリア)となりました。彼らは生活に困窮し、基本的な食糧(パン)と娯楽(見世物)を求めるようになりました。
2. 政治的懐柔策
無産市民であっても選挙権を持っていたため、政治家や皇帝は彼らの支持を得るために穀物の無料配給や剣闘士試合、戦車競走などの娯楽を提供しました。これにより市民は政治への関心を失い、食糧と娯楽を提供する者を支持する傾向が強まりました。
無産市民であっても選挙権を持っていたため、政治家や皇帝は彼らの支持を得るために穀物の無料配給や剣闘士試合、戦車競走などの娯楽を提供しました。これにより市民は政治への関心を失い、食糧と娯楽を提供する者を支持する傾向が強まりました。
3. 社会的安定
政治家たちは「パンと見せ物」の提供が市民の不満を抑え、暴動や反乱を防ぐ効果があると考えました。この政策は一時的には効果的でしたが、長期的には国家財政を圧迫し、社会全体の衰退につながりました。
4. 娯楽への依存
剣闘士試合や戦車競走などの見世物は、市民にとってスリリングで刺激的な娯楽でした。これらのイベントは日常生活の苦しさから逃れる手段として熱狂的に支持されました。
結果として、「パンと見せ物」はローマ市民の生活基盤となり、政治家や皇帝にとっても支持を得るための重要な手段となった一方で、市民の政治への関心低下や国家財政への負担という負の側面も生じました。
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