2024年9月10日火曜日

受験テクニックのような査読突破技術を教える塾が論文の質に悪影響を与えている

同僚の新人が論文を提出して査読に落ちた後にこぼしている。レビュワー(査読者)は特に否定的な意見を言ってないのに査読に落ちると。それが二度や三度ではないのだと。私もレビュワーになるが、落とす理由を提示できないがこれは通したくないと思う論文が最近はやたら多い。新人くんには気の毒で言ってないが、そういうことではないかと思っていた。

そしてよからぬ集まりの存在を知った。論文の査読を通すためのテクニックを教える塾みたいなものがあるそうだ。件の新人もその塾でテクニックを教えてもらったと言っていた。ああ、なるほどそれが原因かと納得した。

落とされる論文はつまらないから落とされるのだ。つまらないとは読んでも知的興奮を感じないということだ。ところが落とすときの理由に「つまらないから」とは書けないから、「実験が十分でない」「実験条件が適切ではない」「比較が十分ではない」「論理が飛んでいる」等々のそれらしいことを挙げる。これまではつまらない論文にはたいていそれらしい落とす理由も見つけられたからこれでよかった。ところが上記の塾があるものだから、先ほど挙げたような落とす理由を機械的に消去するテクニックが普及してしまった。その結果、つまらないのだが落とす理由がない論文が大量生産されているということだ。こんな論文が論文誌の大半を占めると本当に優れた論文を見つけ出すのが難しくなってよろしくない。これは由々しき事態だ。人類の文化が劣化する原因がまたひとつ増えた。

知的興奮というのは読んだときにアドレナリンが湧いてくることだ。「すっげー、よくこんなこれまで誰も気づかなかったこと思いついたな」と思う状態だ。この場合は実験方法が荒削りでも結果が多少芳しくなくても「着眼点が優れているから十分学術に貢献している」と良く評価される可能性がある。

私は大学入試というものに好意的ではなく、そんなもので人の能力は測れないだろうと思う。子供達が通う塾で大学の入試に合格するテクニックを教えているらしいが、それではますます大学入試の存在価値が下がってしまう。実力でなくテクニックでごまかす風潮はなんとかならんものかねえ。

本当に価値のある研究ってファッションとか芸術と一緒で「これはカッコ良い(=才能を感じる)」というのが最重要だったりする。一流になればなるほど理屈じゃなく感性に近くなる。

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