2024年3月31日日曜日

花の慶次に出てくる死兵の意味がようやくわかった

前田慶次郎利益を主人公にした隆慶一郎原作・原哲夫漫画の花の慶次は少年ジャンプに連載されていたときに夢中になって読んだ。本作には死兵という言葉がでてくる。死ぬのを恐れない兵のことで既に死んでいるのと同じだから死兵と呼ばれる。めちゃくちゃ強い。慶次も死人(しびと)として描かれている。もちろん死ぬほど強い。

ジャンプ連載当時(1990-1993)は死兵や死人は大したものだが、自分にはとうていなれない存在だと思っていた。そして忘れていた。巷にあふれる金に執着する連中と生に執着する連中が自分とは違う人種に思える昨今では、自分がいつのまにか死人になっていたことに気付いた。もしかすると仏教を修めたせいかもしれない。

やりたいことは山ほどあって、あと1億年生きても時間が足りないとは以前から何度も述べているが、時間が足りなすぎるのが達観できた理由かもしれない。今日死んでもかまわない。好きなように生きてきたし、欲しいものは入手済だし、欲しいものが増えたらすぐに入手できる算段もある。

病気はたとえガンでさえも自らの免疫で治せるし、免疫が正常だからアレルギー検査をしてもなにもアレルギーはない。細胞新生が起こらないはずの脳や腎臓さえなぜか気力で治せる(最近の研究では脳でも海馬の一部では細胞新生が起こることが発見されているので脳細胞は新たに生まれてこないというのは本当は間違い)。これらは仏教を修めたおかげかもしれない。仏教を修めると病気になってもジタバタせずに受け入れることができるのだが、私は不死身の身体がたまたまおまけについてきた。不死身になったゆえに死んでも平気というのがまた面白い。

お金に執着しないのもこれもたまたまなんだが、10億円あって好きに使ってよい環境を経験したら誰でもお金に執着しなくなる。10億円以上あってもまだお金を集めている人は打ち込む趣味がない精神が貧しい人だ。誰とは言わないが世の中に結構いる。趣味は何でもよいのだが、例えば車が趣味だといくらでもお金があれば数億円の車を買うだろう。そして道路を走らせてみると、公道ではこの車の性能を発揮できないことに気付く。そこでサーキットに持ち込んで走らせると、こんどは自分の腕が足りなくて車の性能を発揮できないことに気付く。そうなると今度はサーキットでフォーミュラーカーを使って練習することになる。練習にもお金がいるが、何億円ものお金はもはやいらない。そしてお金よりも学んで努力する時間の方がが必要になる。ここまで来てお金よりも時間が大事と気付く。

ベゾスやゲイツがヨットに乗っているが、自分でティラーを握れない人がヨットに乗ってもカッコ悪いだけ。恥ずかしいことがわからないのか。金だけ持っていても仕方のない例だ。

逆にGMO社長の熊谷さんや俳優のトム・クルーズは飛行機の免許までもっていて自分で飛ばしている。バイク好きなのも共通だ。トム・クルーズなんて自家用のP-51マスタングまで持っていて飛ばしている。これはカッコよい。こういうお金の使い方ができないとお金持ちになる意味がない。

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