バカの所業で不思議なのは失敗を認めないことだ。失敗したら自分に不利益な結果になる。それは辛いから「しまった、あのときああしとけばよかった。つぎはそうしよう。」と自然に思う。そして一段階成長できる。逆に成功すると学びはほとんどない。失敗こそ最大効率の学びを得られるチャンスだ。せっかく失敗できたのにそれを失敗と認めなければ学びの機会を失う。なんともったいないことだろうか。しかし弥生時代だか江戸時代だかからの日本人は、そのもったいないことを進んでやっていた。そりゃみんなバカになるわけだ。本当に不思議だ。なぜ失敗を認めないのだろう。
私が日本という国が絶対に滅びると断言できるのは、この性質が滅びるまで直らないとわかるからだ。これは論理学で簡単に証明できる。「失敗を認めない性質のために失敗している」状態を直したいのだとする。失敗を認めないから自分がこの状態であると認識できない。その結果直す機会は永遠に得られない。証明終わり。ここまで完璧に詰んでいる例はなかなかない。
昭和12年に流行った「バカは死ななきゃなおらない〜」という言葉は論理学的には重要な定理と言えるだろう。バカは自分がバカであることがわからないから永遠になおらないと言っているのだ。
実は人間の行動に素の論理学を適用するのは適切ではない。わかりやすいので前記の証明は素の論理学的に行ったが、精密に議論するには確率分布を導入しないといけない。「うそつき」と呼ばれる人でも100%うそをつくわけではないからだ。うそをつくこともあるし、本当のことを言うこともある。それは時と場所と本人の状態によって変わる。うそつきがうそをつくかどうかの具合を確率分布で表現しないと正確な分析はできない。確率分布を導入した論理学を用いると複雑なことが表現できて面白い。得られた結果の中で注目すべきは、非常に稀ではあるが素の論理学ではありえないことが起こると導き出せることだ。この稀なことにより予想もしなかった破滅状態に陥ることもあるし、棚ぼたが起きたかのように事態が好転することもある。この辺りの分析はとても面白い。後者の棚ぼたが起きるのはすごく低い確率だが、日本人が失敗を認めない性質を修正する可能性が残されているということだ。その確率は宝くじの特等に当たるよりも小さいがゼロではない。
複雑系とか過渡状態の研究を確率分布を利用して行うのは数学的に面倒なので難しいのだが、その難しいところにこそ社会の真実が隠されている。大学の数学科や物理学科レベルの生半可な数学知識で、社会学や経済学や心理学などの複雑系に取り組まない方がよい。不適切な前提を使った重要情報落としまくりの数学理論を使うくらいなら、まったく数字を使わずに議論した方が複雑系ではまだマシな結論になることが多い。
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