経団連会長が大阪万博の2025年4月13日開催を「厳しい」しかし「石にかじりついてもやる」と述べた。いや、それ石にかじりついてもやらなくてよいから。それやっても誰も得しないでしょう。逆に誰か損したり、建築作業に従事する人の中に犠牲者が出たりするかもしれない。やらない方がよいことだ。
万博を中止するのに博覧会国際事務局の決議による賛成が必要なのだが、万博をやめても誰も命をとられないのに、博覧会国際事務局が中止に反対するか?もし反対したら、そのような事務局は関わりを持つ価値のない組織だから、縁を切ればよい。そして万博を日本側で勝手に止めればよい。ルールというのは守ることによって多くの人が幸せになる場合に守るのだ。ルール(法律)を尊重しているかについての判断はルールを作ったときの趣旨に沿っているかどうかで判定すべしというのは、まともな大学の法学部で論文作成を学んでいれば教わることだ。
そもそもルールの存在自体が悪であることもある。ルールを作った連中の私利私欲を満たすだけのルールだってある。守る価値のないルールは破ることこそ、多くの人の人権を守ることになる。法律について深く学べば、ルールは破るべきときは破るのが正しいと理解できる。
日本人は縄文時代は頭を使っていたみたいだけど、それ以降ろくに考えなくなっている。誰にとっても悪いことなのに、それを頑張ってやっているから自分はよい人なんだとか、自分は我慢しているから自分は正しいんだとか。いや、それあなたのひとりよがりで何もよいことではないんだけど。やめてくれる?迷惑だから。というバカばかり。
そんなバカばっかり見ているから、私利私欲のために悪事を働く悪党の方がまだマシに見えてしまうくらいだ。悪党は悪いことをやっていてけしからんが、少なくともそれは悪党本人のためにはなっている。誰にとってもためにならないことをする勘違い人間よりはマシだ。論理的に考える頭のある悪党ならば、悪事を働いて得るよりたくさんのお金をあげると言えば悪事を止める。よいことをしているつもりでいつまでも悪事を続けるバカより、考える頭を持っている悪党の方が100万倍マシだ。
損得関係なく人を傷つけたり陥れたりするのに喜びを感じるクズ人間もいるが、そんなのは悪党の風上にも置けない。人類にカウントしなくてよい。問答無用で駆除してよい。
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