異種の多様性は生物全体が生き延びるために有効だ。環境が変化してある種の生存が難しくなって滅んだとしても、別の種が生き延びられれば、その種から生物は再発展できる。これまで地球では大量絶滅が5回起きたが、異種の多様性のおかげで生物は生き延びた。
同種の多様性も生き延びるために有効だ。欠点と思われる性質も役に立つことがある。生物は身体が大きい方が有利な場合が多いが、環境が悪化して食料確保が難しくなってくれば、エネルギー消費の小さい身体の小さい個体が生き延びる。
以上のようなことを知ると多様性は重要だと思うが、ホモサピエンスのバカという性質は尊重すべきかどうか大いに悩む。バカを生かしておく理由を考えてみると、以下のようなものがあるが、正当化するには無理がある。
- バカから利口が生まれる可能性がある。たしかにその可能性はあるが、バカの方が利口を産む確率が高いことはなく、その逆である(これは直感にも合致する)。バカからしか生まれない利口ということも脳の構造からはありえないので、その可能性にかけることもできない。バカの所業でホモサピエンス全体の生存可能性がひどく下がる場合は、バカを生かすメリットに比べてデメリットが大きすぎる。
- バカの方が脳で消費するエネルギーが小さいから、食料危機になるとバカの方が生き延びる可能性があるとか。しかし、エネルギーに関して言えば身体の大小の方が影響度は高いだろう。しかも、バカの方が脳での消費エネルギーが小さいというのは確かめられていない。脳の大小とバカかどうかは無関係だ。バカは無駄なことを考えているからエネルギー消費が利口より少ないとも限らない。
- バカの方が環境変化に強い。これはバカが原始人や猿に近いとイメージしている誤りで、それでは原始人や猿に失礼だ。バカは合理的な行動を取れないので、無人島で原始的な生活を強いられたらいちばん先に死ぬ。
これら以外にもいろいろ考えてみると、バカをわざわざ生かしておくのは、ホモサピエンス全体が滅びる方向へ作用するので得策ではないという結論に至る。ならば、バカのために過剰な社会コストをかけるのはやめた方が良い。バカを正確に見分ける手段は1000年経っても見つからないだろうが、誰が見てもバカはかなり高い確率で本物のバカなので、あまり細かいことをぐじぐじ考えて手加減する必要はない。そもそも、大事なことをほったらかしで、重箱の隅をぐじぐじ考えるのもバカの所業である。
いまでもホモサピエンスの進化は止まっていない。身体の能力が上がるとか、脳の能力が上がるとかの進化はこれからも期待できる。これまでの類人猿の進化を観察すると、ホモサピエンスは今後も脳が進化する可能性が高い。そうなったら、ハラリ氏の言うホモデウスになるのだろう。脳が進化しかけている個体をバカのせいで窮地に陥れるのは生物としては損な選択だ。それはやめておいた方が良い。
バカを生かしたい人は、本人がバカか、バカからひどい目にあった人のことを知らない世間知らずか、人類全体のことを考える広い視野を持てない人のいずれかだ。バカのしでかす悪事は山ほどある。最近の例では強力な台風やハリケーンの発生だ。台風やハリケーンで自分の家が流されたりすれば、誰かのバカな行動が如何に人類に迷惑をかけるかわかるだろう。自分のこれまでの行動も反省できるだろう。反省できなければ、そいつもバカってことだ。
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