また、100%の悪人とか永遠の悪人(つまり静的な悪人)は存在せず、悪人の具合は時と場合により異なる。善悪の判定はリアルタイムに行わなければならず、しかも各瞬間で異なる。たいそう難しいので神が判定を放棄したのもうなずける。
そもそも善の定義、悪の定義が不明瞭だ。宇宙の全生命体に共通する善の定義は「続くこと」でシンプルなのだが、地球に住んでいるヒトは「続くこと」を目指す生命体の範囲をヒトとサルで区切ったり、人種で区切ったり、国で区切ったりと自分に都合のよいように狭くしたがる。だから「続くこと」を主張しても、その範囲が狭いと善とは言えなかったりする。
狭い場所で飼われている豚や鶏にとって「続くこと」は果たして善なのかも疑問が残る。
などと善悪の判定には数々の問題があるのは承知だが、「続くこと」の範囲をヒトに限定した場合は善悪の判定は可能だろうか。たとえば一般に殺人は悪いこととされているが、それは人が続くことを妨害したからだ。ではプーチン(彼が本当の悪人かどうかは私は判定できないが)を暗殺することはどちらか。プーチンは死ぬが、そのおかげで何万人もの命が助かるのなら、もしかしたら暗殺は善かもしれない。
幸か不幸か地球の人口は100億人くらいで頭打ちになりそうなので、本当の食糧不足にはならない(地球の農地の食糧生産能力は110億人分もある)。もし地球の人口が200億人に増えそうになったとき人口を減らす政策をとるのは善なのか悪なのか。短い期間で人口を減らさなければならないときに、生きるべき人を選ぶことは善なのか悪なのか。
誰がどう見たって無害な人ばかりを残したとして、無害な人では効率的に食糧を分配する能力がなくて結局より多くの人が餓死したら、無害な人を残すという行為は善と言えるのか。
人の生き死にに関する決断は、ものすごく賢い人間でも難しい。その難しさの理由のひとつは考える時間が足りないからだ。ものすごく賢い人間が1000人いたら、最適とは言えないまでもそれなりに合理的な結論を導きだせる。賢い人間が1000人集められないのなら、それらの人と同じくらい賢い機械をたくさん集めれば同じことができるのではないか。
すべてが処理能力で解決するとは言わないが、処理能力を増やせば人手不足の状態でやるよりはマシな善悪の判定ができて、今よりはマシな地球(あくまでヒトにとっては)になるのではないかと思う。
個人的には自己に不利益になっても他者を思いやることができる生き物は「続くこと」の範囲に含めたいと思っているので、その場合はもっと大きな処理能力が必要だ。他者を思いやることができる生き物は意外に多くて、サルやクジラは当然としてラットやカラスもできる。逆に言うと他者を思いやることができない個体は、ヒトであっても計算からは除外してよいと思う。
資本主義は個々人が自己利益の最大化を目指せば社会全体の利益も最大化するという予想に基づいている。全体最適化を中央集権的に計算しようとする(共産主義)よりはマシだろうという考えだ。実は社会全体の複雑度が低い場合(石器時代くらい)は共産主義でもきちんと機能する。最近1万年くらいの社会のように系の複雑度が高まると共産主義では破たんする。これも処理能力である程度説明できる。スターリンや毛沢東のあまりよくない頭脳では社会は計算しきれないのも当然だ。彼らより格段に頭のよい私だって1917年のロシア社会を計算しろと言われたらできません無理ですと頭を下げる。もはや使い物にならない共産主義だが、これも機械の助けを借りて処理能力を上げれば、少しはマシになって使えるかもしれない。というのも、さらに社会の複雑度が増した21世紀の現在では資本主義で個々人がどんなに考えて努力しても社会の破たんが免れなくなりそうで、困ったことになっているからだ。
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