若い頃、腹に1㎝の穴が開いてふさがらず、痛くてろくに眠れなかったがどうしてもやらなきゃいけないことがあったのでそれを済ませてから1年半後に医者にかかった。穴をふさいでくれた医者は「よく痛みに耐えられたね」と感心していた。腫瘍で首の外科手術を受けたが、メスで肉を切られる痛みや、はさみでなんか固いところをブチっと切られる痛みは腹の穴の痛みに比べればマシで手術中に医者に話しかけることができた。話しかけられた医者はびっくりして麻酔を増量したが、私が麻酔が効かない体質なのが分かっただけだった。もう切開しているので放っておく訳にはいかず、そのまま手術は続行して終了。その後も手術を受ける機会はあって麻酔が効かないことを事前に告げたのだが、何を試しても麻酔は効かず、そうは言っても切らないといけないので結局麻酔が効かないままで手術を受けた。そのうち手術の度に医者を悩ませるのが気の毒になって麻酔が効かないことは黙っていることにした。その後も何度か手術を受けたが、麻酔が効いているふりをして痛いのは我慢した。先週も歯医者で麻酔をしてもらったが、麻酔が効いてないので治療中は痛かった。それなら麻酔を最初からしないように頼んで、歯ぐきに麻酔針を刺される痛みだけは免れるのが合理的だが、もう説明するのが面倒で黙って針を刺されて耐えた。
ひどい痛みとそれによる寝不足に耐えて動き回っていた1年半の間が、ちょうど仏教の修行と同じ効果があったようで、仏教の勉強をしたとき肉体の修行なしで覚りに近づくことができた。いろいろ読んだけど、仏教の苦行は私の経験よりは楽っぽい。覚ってしまうと現世の周りのことを気にしなくなるので、今すぐ覚るのは何となくまずいと思って覚るのは死ぬ直前にしようと決めた。釈迦は金持ちの坊ちゃんで何不自由なく暮らしていたが、老いるのと死ぬのとが怖くなってそれを解決する旅に出た。いろいろやったみたいだが、結局なんかのはずみで覚ってしまい、渇愛から解放されて平穏幸福になれた。もう病気も死もなんてことはなくなって彼は目的を達成したのはいいのだが、私はあえて突っ込みたい。あなたは覚ってよかったろうけど、他の人はどうなのよ。みんなで覚るべきなんじゃないの。覚れる人は覚りなさいと突き放すのは、ちょっと自分勝手でしょと。しょせん金持ち坊ちゃんの道楽じゃないかと言いたい。別に彼は何も悪くないけど、この世の中もうちょっと何とかしたいと思うのが人の道じゃないのと突っ込みたい。この辺りはいろいろ書きたいことが多いので別の機会に譲ろう。
私はいつでも覚って少なくとも釈迦と同じにはなれるので、この先(勝手なことに自分だけは)何の心配もないと思っていたが、悩むべきことがまだあったことに突然思い当たった。夜中に赤ちゃんが泣いて泣き止んでくれないときにどうするかだ。赤ちゃんが泣く理由は
- おなかがすいた
- おむつ
- 抱っこ希望
- 暑い寒い
- きゅうくつ
- 痛いかゆい
- なんだか眠い
- まわりの刺激が強い
- 疲れた
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