2021年2月17日水曜日

赤ちゃん教修行方針策定中

仕事で2日間徹夜した。ずっと頭をフル回転させていて疲れ果てて、布団に入って眠れたときは至福の幸せを味わえた。その間際に思ったのだが、ここで赤ちゃんが夜泣きしてあやさなければならないとしたらどうだろうか。かなり辛いことが想像できる。傷の痛みをがまんするとかは自分の気持ちの持ちよう次第なのでどうにでもなる。赤ちゃんは何を考えているかわからない。その赤ちゃんをあやして泣き止んでもらうのはかなり難しい。正直言って、死ぬほど眠い先日のようなときは赤ちゃんをあやすよりかは、焼けた炭火の上をはだしで歩いてそれで終わりの方が相当にありがたい。これでピーンと来た。赤ちゃん教の修行はこれだ。自分がどのような窮地に置かれていても(絶食中でも、どんなに疲れていても、ずっと眠っていなくても)、赤ちゃんが泣いていればあやさなけばいけないのが修行だ。これは厳しい修行だ。赤ちゃん教を思いついたときは浄土宗みたいなゆるい宗派になるような気がしたが、どうしてどうして上座部仏教(昔小乗仏教と誤って呼ばれていた)並みの厳しい修行の必要な宗派になりそうだ。私もこの修行に耐えられるか自信がない。

お母さんたちは「そんなことはどうでもいいから私が赤ちゃんみてるあいだに家事手伝って」と言いそうな気がする。彼女たちはもう既に覚りの段階にいるのだろう。赤ちゃんを拝むついでにお母さんも拝んでおこう。

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