2019年12月4日水曜日

投資で利益が出ているときこそ苦しいのはなぜか

長年トレードをした結果、損を出しているときの苦しみは克服できた。あらかじめ損切り注文を置いておけば、それ以上の損をしないのが保証されるので、不安に感じることはない。しかし、利益を出しているときの落ち着かない感じは未だ克服できていない。利益が消える前に早く利食いしたいと焦る気持ちと、利を伸ばさねばならないという気持ちとの葛藤に苦しんでしまう。これはどうしてこうなり、どうすれば克服できるのか。それに関して仏教の資料からヒントをもらった。
仏教の始祖ゴータマ・シッダールタによると、全ての苦しみは渇愛から来ている。痛みなどの不快なものを経験するとその痛みを取り除くことを渇愛する。快さを経験するとその快さが消えてしまうのではないかと恐れるのも渇愛だ。渇愛することなく、物事をあるがままに受け入れられるようになると苦しみから解放される。これを仏教では「涅槃の境地に達する」「悟りを開く」と言う。
トレードの苦しみはまさに渇愛だ。損を出しているときは「損が消えますように」と渇愛する。利益を出しているときは「利益が減るのではないか」と渇愛する。仏教の修行をして悟りを開くことができれば、苦しまずにトレードできるようになるだろう。しかし、悟りを開いてしまったら、もはやお金などどうでもよくなるかもしれない。そうだとしても悟りを開くのはなかなか良さそうだ。悟りを開くための方法もゴータマ・シッダールタが開発したそうだ。ゴータマ直伝の方法はネットでは調べられなかったが、だいたいの方法はここに書いてある。私は精神的な修行は概ねできているので、後は肉体的な修行が必要なようだ。肉体的な修行は自衛隊のレンジャーの訓練みたいな感じだ。少しずつやってみよう。それともこれは一気にやらないと意味がないのかな?でもまあ少しずつでもなんかの足しにはなるだろう。
キリスト教とかユダヤ教とかは他人を攻撃する(殺すことも厭わない)ので嫌いなんだが、仏教は好きになれそうだ。イスラム教も昔は盛大に他人を攻撃していたが、最近はユダヤ教とキリスト教にやられっぱなしなので、気の毒で嫌いと切り捨てられない。

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