2025年12月30日火曜日

メイン電話番号がガラケーであることは頑健性に利点がある

東洋経済オンラインでアップデート中にiPhoneが文鎮化─eSIM時代に"動かなくなったスマホ"が突きつけた厳しい現実という記事を読んだ。eSIMのiPhone17proが文鎮化した結果、SIMを他機に移すことができず、2段階認証ができずに生活が詰んだという内容だ。記事の最後では、2段階認証につかう電話番号は物理SIMにしておいて、それをiPhone17proではない予備機に入れておいた方が安心かもしれないと結んでいた。

これはなるほどそうだと思った。そしてこれを意図してやったことではないが、私のモバイル環境が偶然そうなっていることに気づいた。私のメインの電話番号はガラケーだ。Simply 603SIという棒状端末だ。これは望んでこうなった訳ではなく、諸々のしがらみで仕方なくこうなってしまっていた。銀行サイトにログインするときも、金融取引をするときも、何かの手続きをするときはこのガラケーにSMSで認証番号が送られてきて、ガラケーの画面を見ながらスマホやPCにその認証番号を手打ちで入力するという前時代的な作業を毎日やっていた。スマホに電話番号が入っていたのなら、送られてきた認証番号をワンタッチでそのままサイトに入力できるのにと不便に思っていた。

ところが前述の記事を読んで、私の不便な環境は頑健性において利点を持つことがわかった。Simply 603SIはnanoサイズの物理SIMで、そのSIMが刺さる予備ガラケーは2台用意してある。これなら端末が壊れても致命傷にならない。これも備えた訳ではなく、偶然そうなっただけなのだが。

2025年12月28日日曜日

これからの医学の研究トレンドは個別性だと予言

健康診断では、血圧やコレステロール値が標準値を外れていると警告を受ける。しかし、標準値から外れていることは必ずしも問題ではない。むしろ、無理やり標準値に収めようとする行為こそが、かえって健康を害する。

そもそも「標準値」とは、多数の健康な人のデータから導き出された数値であり、厳密ではないが平均値に近いものだ。ここで冷静に考えてみてほしい。日本人の平均身長が172cmだからといって、それより背が高い人や低い人を、無理やり172cmに縮めたり伸ばしたりする必要があるだろうか。そのような行為がナンセンスであることは誰の目にも明らかだ。身長がその人の個性であるのと同様に、血圧やコレステロール値もまた、個々の身体の「個性」なのである。

具体例を挙げれば、コレステロール値が高い人は、高い状態で健康が維持できるように身体がバランスをとっている可能性がある。免疫機能や脳の働きを維持するためにあえてコレステロール値を高く保っているのにもかかわらず、これを無理に下げれば、当然ながら身体機能は低下する。近年、医学論文でこうした指摘が散見されるようになってきた。あと20年もすれば、個体差を無視して他人の数値に合わせようとする作業は、愚かな行為として認識され、医学界から消滅するだろう。

私がこのことに気づいたのは経済学のおかげだ。多くの経済理論が実体経済をうまく制御できないのはなぜか。それは、市場参加者の心理という統計値では表現できない不確定要素が実体経済系に内在しているからだ。常に不規則に変動する要素(人の心理)を多数内包する実体経済は「複雑系」となる。複雑系の振る舞いは予測不可能であり、どこで安定するか計算できない。人体もこれと同じである。人体は多数の構成要素から成り、その組み合わせは無限に近いバリエーションを持つ「複雑系」だ。したがって、それらすべてを単一の基準で同一視し、画一的な数値に管理しようとすること自体が不合理なのである。

2025年12月26日金曜日

年賀状写真に文字を書き込むためにSAMTRADINGの水性顔料の白マーカーを使う

今年の年賀状はmacの宛名職人で作った。ハガキの裏を全面写真にするという初めての試みを行った。印刷して気付いたのだが、一言を書き足すエリアがない。写真の中に書くしかない。今回の写真は全体に暗いので、黒ペンで書くと字が読めない。そこで白ペンで書くことにした。白ペンはコンビニにはなかった。100円ショップにもない。そこで、これまで入店したことのない画材屋さんに行ってみた。相談すると書きやすいからとSAMTRADINGの直液式COLOR MASTER MILLI 白というマーカーを勧められた。これで年賀状に書き込んでみると白色がよく乗ってきれいに仕上がった。

このマーカーは普通に売っているマジックインキのマーカーと違って書く前の作法がある。キャップをして20回ほど振る。ペン先を押し込んでインクをペン先に染ませる。それから書く。書き続けているとかすれてくるので、そのときはまた20回振るを繰り返す。絵画を趣味にしている人になった気分だった。お店にはそれらしいマニアっぽいお客が居た。こういう店がなくなるのは寂しいので、これからたまに利用しようと思った。

2025年12月24日水曜日

日本の労働者の7割が静かな退職状態に

報道によれば、日本の労働者の7割が指示された仕事しかしない「静かな退職」状態にあるという。若者から管理職までが「労働に見合う報酬がない」と判断しているからだ。努力が報われないならば頑張らないほうがよいという判断は、労働者としては合理的である。

かつてのソ連や中国が証明するように、努力する者が損をする体制は国家を衰退させる。しかし、現在の日本はこの破滅の道を歩んでいる。「格差反対」「誰も取り残さない」などの美辞麗句のもと、他人の足を引っ張る層が多数派を占めており、彼らは自身の正義に酔っているため説得は難しい。もはや社会の自浄作用は期待できない。

このままでは日本が最貧国になることは不可避である。そうなると治安も悪化する。私はこれまで何億円もの税金を納め、これから死ぬまでに5億円の税金を納める見込みだ。税金を払うのはそれほど嫌でもないのだが、治安が悪いのは困る。治安が悪くなると日本を逃げ出すしかない。私みたいに逃げ出す人が何万人、何十万人にも増えたら、日本はかなりの税収を失うだろう。いったいどうするつもりなのだろうか。

おそらく日本の得意技のmoney printingをするつもりだろう。そうなるとますます物価が上がり、貧しい人が増えて治安もますます悪くなる。そしてお金持ちがさらに日本を逃げ出す。そしてまたmoney printingでごまかす。見事な正のフィードバックだ。

2025年12月22日月曜日

日本人の性格の悪さの原因は社会主義に染まっているからか?

今後、どれほど優秀な政治家が舵を取ろうとも、日本の没落は不可避である。その最大の要因は、国民の知性の欠如と性格の悪さに他ならない。知性の低さは自らの利益となる政策への反対を招き、性格の悪さは改革者の足を引っぱる行動へと繋がる。このような国民が多数を占める中で国が繁栄するならば、それこそ奇跡であろう。現状の衰退は極めて自然的かつ合理的な帰結に過ぎない。

優れた個人を妬み、迫害する悪弊は、共産主義や社会主義に染まった人間に顕著である。かつてのソ連による優秀な指揮官の粛清や、中国の文化大革命における知識人弾圧がその典型だ。しかし、ソ連や中国でさえ、失敗から学び、現在はかつてほど露骨に優秀な人材を迫害しなくなっている。彼らには少なくとも、過ちを修正する学習能力があったのだ。

日本も事実上の社会主義国であるが、日本人はかつてのソ連人や中国人よりもさらに救い難く、学習能力が欠如している。社会主義の弊害を改めるどころか、さらに推し進めようとしているからだ。それゆえ、優れた人間を妬み排除する土壌が消えることはない。ソ連や中国でさえ学習し改善できたことが、なぜ日本人には不可能なのか。その答えが単なる「愚鈍さ」にあるとすれば、人間の愚かさも底知れないものがある。

国民性の悪辣さにおいて、日本人は世界でもトップクラスだが、アフリカのジブチ国民もまた、日本人に酷似した嫉妬深さを持っている。遺伝的な共通項がないにもかかわらず、他人を妬む性質において両者が並ぶというのは不可解であり、研究対象としても興味深い事例である。

浅慮な善人は日本を救おうと試みるかもしれないが、その努力は徒労に終わるだろう。日本人は救済策を自ら破壊し、恩を仇で返すような真似をするため、支援者は早晩絶望することになる。やがて誰も手を差し伸べなくなるだろう。精神衛生を保つためには、日本人には関わらず、外部からその末路を静観するのが最善である。

仮に「七人の侍」が現代の日本村に来たとしても、彼らは即座に「この村の百姓は守るに値しない」と見抜き、去っていくだろう。村民たちは「我々を見捨てるとは何事か」と喚き立てるだろうが、性格のねじ曲がった乞食をあえて助けようとする物好きは、そうそういるものではない。

2025年12月21日日曜日

日本に住んでいないのに日本経済の先行きが暗いと見通すことのできる市場関係者はけっこうすごい

植田さんは12月19日の日銀金融政策決定会合において、ていねいに説明したが、少々正直過ぎたので、利上げしたにも関わらず円安が進んだ。

今回の日銀金融政策決定会合で円安が進んだ理由は、日本の金利は今後上げたとしてもせいぜい1.5%だ、下手をすると1.0%で長く停滞するかもしれないと市場関係者が感じたからだ。その土台にあるのは、日本経済の先行きが暗いだろうという思惑だ。日本に半世紀以上暮らしている日本人である私には日本経済が立ち直ることはないだろうと肌感覚でわかる。為替取引に関わる市場関係者の半分以上は外国人で日本に住んでいないのにこれがわかるとは、なかなか大したものだと思う。

それとも、外国人が正しく見通せているのはたまたまの偶然で、彼らは別の数値を見ているだけなのかもしれない。

2025年12月16日火曜日

円安と金利高は家計にとってはどちらが負担か

幅広い視点から議論を展開する唐鎌大輔氏が、noteで面白い着眼点の議論をしていた。円安と金利高は家計にとってはどちらが痛みとなるかという議論だ。円安はインフレを招いて家計にとっては痛みとなる。円安を止めるために金利を上げるべきだというのが大勢の意見だ。私もそう思っていた。金利を上げると企業活動にはマイナスだが、大して借金をする訳でもない家計にはマイナス面は少なく、銀行の利息が増えるからプラスになるのではないかと思っていた。ところが唐鎌氏は円安を止めるために金利を上げることは、家計にとってマイナス面があるということを指摘している。詳細は氏のnote記事を読んでいただきたい。有料記事なので、内容をここに詳細に引用することはマナーとしてできない。