2025年3月16日日曜日

体験格差を問題にすること自体が問題だとわからない社会主義国日本

ちかごろ体験格差という言葉を聞く。金がないと、子どもはスポーツや旅行、音楽活動などの体験に参加できない(本当はそんなことはないのは最後に書いておく)。参加できるできないの差を体験格差というとのこと。バカか。スポーツも旅行も音楽活動も人生には誤差でしかない。それを子供のころに経験したかどうかなど、子供のころ蚊に刺されたかどうか程度の差でしかない。そんな無意味なことを格差格差と騒ぐ社会の方が危うい。どうせあれだろ、運動能力の低い子供が運動会で1等をとれないのはけしからんとかいう連中の議論だ。そういう連中は日本を社会主義化したいようだ。そういう社会主義志向の人間はまとめてロシアか中国にプレゼントすればよい。ロシアも中国もいらんもの渡されたと嫌がると思うが、他に使い道がない人間なので強制労働でもさせてお茶をにごすだろう。

私や兄弟が大人になるのに、親は衣食住および学費など全部合わせても20年間で高々100万円しか使ってないが、それで困ったり悲しかったことは何もなかった。食べ物は買わなくても野原で採取したり、植えて育てればだいたい手に入った。小学校までは仲間と近隣の探検で飽きることはなかった。ガラクタを拾ってきて独楽や凧などのおもちゃを作ったり、雨風をしのぐ小屋を作ったり、次から次へと面白いことばかりだ。できあいのスポーツをするより何百倍も面白かった。小学校の卒業式の次の日から働き始めたので、労働だけで十分に運動になったし、大人と付き合って社会のいろいろなことを学べたし、業務用自転車でどこへでも行けた。体験できないのを金のせいにするなど愚かにもほどがある。体験に金はいらない。頭が必要なだけだ。体験格差なんてものはない、あるのは知性の格差だけだ。

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