2024年1月12日金曜日

仮想通貨の裁定取引に経済活動の本質を見る

仮想通貨のbotを使った裁定取引の内容を見ると、システム設計の不備をついたもの、流動性の低下をついたもの、両替レート決定機構の弱点をついたもの、マイニングコストが時価である点を利用したもの等々いろいろある。仮想通貨のbotter(botで取引している人)は損する人を堂々と「養分」と呼んでいる。全身全霊で投資に取り組んでも損することはあるが、そういう人は養分とは呼ばれない。養分と呼ばれる人は努力をしないで利を得ようとしているので蔑視の意味も込めて養分と呼ばれる。養分の人たちは強制された訳ではないのに自分の欲のために自主的に取引に参加しているのだから文句は言えない。

裁定取引とは、適切な値段より安すぎる物を買って、より適切な値段で売ることによって儲けること。あるいは適切な値段で買って、適切な値段より高すぎる値段で売ることにより儲けること。および、安すぎる値段で買って高すぎる値段で売ることで儲けることを指す言葉だ。アービトラージとかさや取りとも呼ばれる。

突き詰めて考えると株式投資もFXもオプション取引も養分のおかげで別の誰かが儲かっている訳で、仮想通貨のbotterだけを非難できないと思う。さらに考えると世の中の商取引全てが裁定取引により養分から金を巻き上げていることにも気づく。例外は農業や漁業に携わっている人から直接買う時だけだ。裁定取引の存在を否定すると現在社会の構造を否定することになる。

経済学で仮定として用いる理想的な状況ではあらゆる裁定取引がすみやかに実行されて価格が適切な値に収束することになっている。つまり養分はいないことになっているのだが、現実はそうではない。取引量の多い外国為替や商品市場ならば裁定取引の機会が生じても瞬時にそれは消滅するが、取引量の少ない(流動性が低いと言う)モノはかなりの期間裁定取引機会が残る。仮想通貨の例のようにシステム的な欠陥で必然的に裁定取引の機会が生じる場合もある。裁定取引の機会を活用するには元手が必要(オイルタンカーを使うなど)な場合があってそれは誰でもできる訳ではないので、その誰かが現れない限り機会が残る場合もある。裁定取引の機会がいつもすぐ消える訳ではない。

我々にできることは、養分にならないように常に気をつけるしかない。そのためには常にモノの価値を正しく見極める勉強をしなければならない。そういう意味ではイスラム圏のスークで毎日買い物をするのはよいことだ。毎日価格交渉していたら、養分にならないための考え方が自然と身に付く。ぼったくりタクシーに乗ってぼったくられないように価格交渉するのもよい勉強となるだろう。

人生とは考えるのをサボり始めた時点で破滅確定だ。考えたら負けという風潮の日本は、ケンシロウに言わせれば「お前はもう終わっている」。

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